読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡辺恒雄氏が19日未明、死去した。98歳だった。元日本サッカー協会会長で、日本トップリーグ連携機構会長の川淵三郎氏(88)が同協会を通じて「突然の訃報に言葉もありません」と悼んだ。 故人との思い出につい…
読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡辺恒雄氏が19日未明、死去した。98歳だった。元日本サッカー協会会長で、日本トップリーグ連携機構会長の川淵三郎氏(88)が同協会を通じて「突然の訃報に言葉もありません」と悼んだ。
故人との思い出について「ちょうど7年前、自伝を出す際に渡邉さんと対談する機会に恵まれました。高円宮殿下のご葬儀の際にお会いして以来で、久しぶりにお目にかかれて本当にうれしかった。既に90歳を越えておられるにもかかわらず矍鑠とされ、話される内容も鋭く、得難い時間を過ごさせていただきました。頭脳では到底かなわないものの、そのお姿を見て渡邉さんのように年を重ねていきたいと思いました。その渡邉さんが亡くなり、目標を失った思いです」(原文まま)としのんだ。
川淵氏が初代チェアマンを務めたJリーグが93年に開幕後、渡辺氏が当時社長を務めていた読売新聞社が運営していたV川崎(現東京V)の東京移転や企業名を入れないクラブの呼称などを巡り、「地域密着」の理念を掲げた川淵氏と激論を交わした経緯がある。
川淵氏は「Jリーグ開幕当時、クラブの呼称問題などで侃々諤々(かんかんがくがく)の論戦を繰り広げたことが懐かしく思い出されます。渡邉さんとの論争が世間の耳目を集め、多くの人々にJリーグの理念を知らしめることになりました。恐れ多くも不倶戴天の敵だと思っていた相手が、実は最も大切な存在だったのです。まさに渡邉さんはJリーグの恩人。心から感謝しています。在りし日のお姿を偲び、ここに謹んで哀悼の意を表します」とコメントした。