読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡辺恒雄さんが19日午前2時、死去した。同社が発表した。98歳。都内の病院で亡くなり、死因は肺炎だった。葬儀は近親者のみで執り行い、後日、お別れの会を開くという。 政界のフィクサーと呼ばれ、プロ野球界、…

 読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡辺恒雄さんが19日午前2時、死去した。同社が発表した。98歳。都内の病院で亡くなり、死因は肺炎だった。葬儀は近親者のみで執り行い、後日、お別れの会を開くという。

 政界のフィクサーと呼ばれ、プロ野球界、マスコミ界に絶大な影響力を誇ってきた渡辺氏が逝った。

 渡辺氏は、東大哲学科を卒業後、1950年に読売新聞社に入社。ワシントン支局長、取締役・論説委員などを経て90年5月に代表取締役社長・主筆に就任。96年に巨人オーナーに就任した。

 オーナーとしても歯に衣(きぬ)着せぬ発言と剛腕ぶりで存在感を発揮。元々は野球への知識や興味はなかったというが、球団経営に関わるようになると「野球協約」にも精通した12球団オーナーの中心的存在として、リーグ再編を模索、ドラフト制度改革を仕掛けるなどしてきた。

 2004年に勃発した球界再編の際にはオーナー会議の議長を務めており、当時の古田敦也選手会長に対しての「たかが選手が」発言がクローズアップされて世論の反感を集めたこともあった。同年8月にはアマチュア選手への裏金問題が発覚。「道義的な責任を痛感した」としてオーナーを辞任した。

 05年6月には球団取締役会長として球界に復帰。11年には“身内である”清武英利GMからコーチ人事への渡辺会長の介入をめぐり「球団を私物化している」と告発され裁判にまで発展。14年6月には球団最高顧問に就任していたが、巨人選手の野球賭博関与が発覚して辞任していた。

 健康面では、71歳だった98年に前立腺がんの手術を受けることを公表。球団事務所で会見し「企業の最高責任者が大病にかかった時、実情を報告するのが経営上の義務」と覚悟を示したこともあった。

 亡くなるまで主筆として生涯現役を貫き、読売グループのトップに君臨し続けた渡辺氏。ワンマンなトップの印象が強いが、17年10月20日に87歳で死去した元女優の妻・篤子(あつこ)さんへの深い愛情を雑誌で発表するなど愛妻家の一面もあった。