2年ぶりにガールズグランプリへの出場権を獲得した石井寛子 photo by Takahashi Manabu 年の瀬の12月29日(日)、静岡競輪場で、ガールズケイリン最高峰のレース「ガールズグランプリ2024」が開催される。先月の競輪祭女…
2年ぶりにガールズグランプリへの出場権を獲得した石井寛子
photo by Takahashi Manabu
年の瀬の12月29日(日)、静岡競輪場で、ガールズケイリン最高峰のレース「ガールズグランプリ2024」が開催される。先月の競輪祭女子王座戦までの獲得賞金上位者とGⅠ優勝者の計7名に出場権が与えられているが、そのひとりが石井寛子(東京・104期)だ。一昨年まで10年連続でガールズグランプリに出場してきたが、昨年は賞金ランキングで一歩届かず、補欠として会場に足を運んだ。2年ぶりに出場する石井は、これまでにない気持ちでこの大一番を迎えるという。この1年間の歩みと共に、レースへの意気込みを聞いてみた。
【奏功した意識の変化】
――昨年は最後の最後で10年続けてきたガールズグランプリへの連続出場記録が途絶えました。出場権を逃した時にはどんな思いがありましたか。
もちろん出場はしたかったです。補欠の8位だったので、まったく叶わなかったわけではなかったんですが、しょうがないかなと思いました。1年間戦ってきて叶わなかったなという感じでした。悔しさはなかったです。11月末の競輪祭女子王座戦の決勝前日の結果で、出場する可能性が低くなってしまって、そこに気持ちを置いてきたというか、気持ちは次の年に向かいました。
――昨年の12月はどう過ごしましたか。
8位の補欠でしたので、グランプリが行なわれた立川競輪場には行くことになっていました。私は10年間ずっと、この12月はグランプリに向けて練習をしていたんですが、それと同じように過ごしました。29日にピークを持っていけるようにトレーニングをして、自転車の準備をして、前検日に入りました。そして帰りました。逆に言うと、8位の経験ができたということはありました。
――ガールズグランプリの会場から帰る時にはどんな気持ちだったのでしょうか。
シンプルに「出られなかったから、また1月から1年間頑張ります」という気持ちですね。
――そこも冷静に切り替えられたのですね。そして1月からまたガールズグランプリのために、新たなスタートを切りました。今年はGI開催の4月の「オールガールズクラシック」、6月の「パールカップ」でともに決勝入りを逃しました。結果を残せなかったことに関して、どう感じていましたか。
夏場にかけて思ったようなレースができていなくて、グランプリ出場権外にいました。その頃に感じたのは、GⅠの決勝に行かないと話にならないなということでした。だから今年はもう賞金ランキングを気にするのはやめようと決めました。ただその気持ちはあったとしても、練習量はいつもどおり減らすこともなく、むしろ新しいことはないかと探したりしていました。
練習の積み重ねが好結果を生みだした要因のひとつ
photo by Takahashi Manabu
――そして真夏のオールスター競輪を過ぎたあたりから復調しました。9月から11月上旬にかけては1着以外のほうが珍しいぐらいの好調ぶりでした。どのような変化があったのでしょうか。
成績が好転した要因の20%くらいは賞金ランキングを意識しないと決めた気持ちの変化で、50%くらいは暑さが和らいだことです。実は夏の暑さが苦手なんですよね。全然走れなくて......。9月になって涼しくなってきたことが大きかったです。あとの30%くらいは粛々と練習を積み重ねていたことが身になったということです。
【走れることに感謝】
――そして今年最後のGⅠ開催、競輪祭女子王座戦では、昨年同様、賞金ランク5位で迎えました。今回はどんな気持ちで臨みましたか。
そこまでに中3日の開催が続いていて、追い込んだり、調整したりの練習が完璧にはできていませんでした。ただ体の調子はそんなに悪くないと感じていたので、決勝に行くのを目標に走れるんじゃないかという期待がありました。
――そこでは結局、初日3着、2日目7着で3日目の決勝には行けませんでした。ただ賞金ランキングで6位が確定して、最終的にはガールズグランプリ出場権を手にしました。どんな気持ちでしたか。
出場が決まった瞬間はホッとしました。今年1年間で、応援してくれる方が増えているなと感じていましたので、「出場できる=恩返しできる」と思いました。ただ不思議な感情もありました。昨年は8位の経験もしていたので、ギリギリで出場できないという気持ちもわかります。それはこれまでの10年間ではまったく感じることがなかった感情でした。
競輪祭女子王座戦でガールズグランプリ2024への出場を決め、観客に手を振る石井
photo by Takahashi Manabu
――それは新しい感情ですか。
競輪祭前の11月にインタビューを受けたんですが、賞金ランキングの順位を見て、グランプリ出場権獲得までの道のりを聞かれた時に、「気持ちはそこにいない」と私は伝えました。というのは、走れていることに感謝しかないと思ったからです。お客さんに感謝だし、この環境に感謝だし、それがすべてだったんですよ。常に走れていることはすごいことだし、奇跡だなと思いながらレースをしています。こうしてグランプリに出場できて、もちろん優勝したいという思いもありますが、それと同時に感謝の心が大きいですね。
【上下動の激しかった1年間】
――いよいよ12月29日がガールズグランプリ2024です。一発勝負のレースとなりますが、3日間のレースとの調整の違いはどんなところですか。
ガールズグランプリは29日で、27日が前検日で、1日空いているんですよね。一昨年の平塚開催から中1日あるんですけど、その前の9年間は、前検日の翌日に走っていて、気の抜けない時間がずっと続いていました。1日空くことで、1回気持ちを抜けるのはありがたいですね。
――2年ぶりの出場ということで、期するものはありますか。またこのレースでの走りを通して伝えたいメッセージがあれば教えてください。
昨年出られなかったなかで、この1年間、本当に応援してくれている方、支えてくれている方がすごく増えたんですよね。周りの人が本当にたくさん助けてくれて、その方たちに向けて走りたいなと思います。
新境地でガールズグランプリに挑む
photo by Takahashi Manabu
――ガールズグランプリが今年最後のレースになりますが、この1年間を振り返ってどう感じていますか。
気持ちがジェットコースターでしたね。1月、2月、3月はとてもいいスタートダッシュをして、4月のGⅠ、6月のGⅠ、7月のサマーナイト(ガールズケイリンフェスティバル)は決勝に乗れず、上がったり、落ちたり、また上がったりと、激しい1年だったなと思います。最終的にグランプリに行けて、幸せ度としてはピークなんですけど、すごい1年だったなと思います。
――最後に改めてガールズグランプリへの意気込みをお願いします。
同じことにはなりますが、支えてくれる人、手伝ってくれる人、応援してくれる人、関わってくれる人が増えたなかで、その方々が喜んでくれるような走りをしたいと思っています。
【Profile】
石井寛子(いしい・ひろこ)
1986年1月9日生まれ、埼玉県出身。中学時代は陸上に励み、高校から自転車競技を始める。大学1年からナショナルチームにも在籍。大学4年時にACCトラックアジアカップのケイリンで優勝する。数々の世界大会で活躍し、2013年にガールズケイリンデビュー。初年度からガールズ最優秀選手賞に輝き、2017年にはガールズグランプリで優勝を飾る。2024年1月にはガールズケイリン史上初の600勝を達成した。