2024年にルーキーとしてDPワールドツアー(欧州ツアー)に参戦し、年間ポイントランク35位で終えた中島啓太。トップ10(有資格者を除く)に付与される来季PGAツアーの出場権には届かなかったが、ことしはPGAツアーの予選会挑戦を見送り、来…
2024年にルーキーとしてDPワールドツアー(欧州ツアー)に参戦し、年間ポイントランク35位で終えた中島啓太。トップ10(有資格者を除く)に付与される来季PGAツアーの出場権には届かなかったが、ことしはPGAツアーの予選会挑戦を見送り、来季は欧州ツアーに本腰を据えると決めている。今後の歩みと、この1年での変化について語った。(取材・構成/谷口愛純)
知名度ゼロからのスタート
『キミは何のカテゴリーでここに参戦してるんだ?』
24年初戦、1月「ラアス・アル=ハイマ選手権」(UAE・アルハイマGC)。体のケアを行うフィジオルームを初めて訪れたとき、スタッフに尋ねられた。
「日本の賞金ランク1位の資格でと言ったら、『あ、そうなんだ』って。向こうでの知名度はもちろんゼロ。フラットな条件で、シーズン序盤は朝6時25分のトップスタートもあった。それも心地よかった」
ルーキーとして新しい環境で戦う日々。イチからまたゴルフを築いていく感覚が楽しかった。初戦4位でシーズンに入ると、そこから「バーレーン選手権」(予選落ち)、「カタールマスターズ」(33位)の2試合で日本には少ないバミューダ芝の感覚をつかんだ。
「その2試合はショートゲームにかなり苦戦した。30ydからの単純なアプローチが乗らなかったり。そこからショートゲームの練習をかなり増やして、インドですぐに結果が出た」
6戦目の3月「ヒーローインディアンオープン」で初優勝。「DPツアーで学ぶことは多い。ここで戦ったら、絶対にゴルフが上手くなる」。手ごたえを感じた勝利だった。
“久常ルート”に感じた焦り
インドの優勝でポイントンランクは13位に浮上。シーズン終了後に上位10人(有資格者を除く)に入れば、翌年のPGAツアーに参戦できる。「もちろん、そこは最大の目標ではあったけど」。シーズン半ばで、欧州ツアーに対する意識は“米国への通過点”から、技術を磨くための主戦場に変わった。
「欧州でトップ10に入って、早く米国に行く。去年の久常涼選手や、ことしの星野陸也さんで完全にその流れができた。そこへの焦りはあったし、特にボクはシーズンの早い段階で優勝しちゃったから、周囲の期待も常に感じていました」
PGAツアーを目標に据えながら、優勝後は足の痛みに腰痛とケガに苦しんだ。7月の「全英オープン」、8月「パリ五輪」と大事な試合で結果を残せない。悔しい時期が続いたが、痛みが出ない力感を抑えたスイングで戦うなど、新たなゴルフのやり方も身に着けた。
「体の痛みが出るたびに、川村昌弘さんのように欧州で長く戦って、技術を磨くのも悪くないと思った。欧州だからレベルが下がるわけではないし、この環境でゴルフをやればタフになれる。ここでしっかり戦いながら、米国を目指す戦い方が良い」
来季も欧州ツアーに本腰を据えるつもりで、10月のPGAツアー1次予選への出場は見送った。
「自分は、その程度にしか思われていないんだ」
もっと、上手くならないと―。そう強く感じた場面があった。49位で終えた「パリ五輪」。初日を終えて松山英樹が8アンダー単独首位、自身は1アンダー29位のスタートだった。
―『チームメートの松山英樹選手とは7打差がありますが、どう思いますか』
取材で受けたその質問が、悔しかった。
「五輪までの2試合は予選落ちで、五輪前に一度日本にも帰ったし、確かに負け続きだった。それでもボクは、“松山さんとの差”は関係なく、“トップと何打”あるかを考えてプレーしていたから。やっぱり、自分はその程度にしか思われていないんだと悔しかった。松山さんと、同じところに行かないといけない」
松山を追いかける立場なのは分かっている。それでも、“メダル争いの候補”に見られなかったことが悔しかった。
小技とアグレッシブさを身に着けた
欧州ツアーを回った1年で、飛距離やパワーだけに頼らない強さを学んだ。
「向こう(欧州ツアー)の選手は、飛ばせるけど飛ばさない。もちろん必要なときは飛距離を出すけど、コース自体が難しいので抑えたフェードで攻めたりする。あとは、ショートゲームが上手い選手が目立つ印象。欧州4勝のライアン・フォックス選手(ニュージーランド)もそうですが、ボギーを打つだろうなという所に外しても絶対にパーで上がってくる」
特に上達したのはピンのショートサイドからのアプローチだった。「ショートサイドに落とした方がバーディチャンスになるし、外してもそっちのほうが難しくないと途中から気づいた。振って飛ばないアプローチだけ覚えておけば良い。その練習をたくさんして、終盤はかなり良くなった」
7位に入ったシーズン最終戦「DPワールド ツアー選手権 ドバイ」は、50yd以内のショットのスコア貢献度を示すスタッツでフィールド9位。ショートゲームの自信は、アグレッシブな攻めにもつながった。
「欧州はタフなピン位置でも、攻めたらご褒美がある。近づけば近づくほど良い。だから、例えばバンカーを避けてレイアップするというのはなくなった。とにかく近づくことを優先して、バンカーで逃げたことは一回もない。そこは日本から変わった部分ですね。…でも、アプローチが良くなったのに、ピン位置によっては体が反応してセーフティに逃げてしまうこともある。そういう時は、かなりイライラしますね…」
プレー中、感情をリアクションに出して消化するようになったのも、欧州を戦って変わったことだ。
4年後の五輪でリベンジへ
欧州の最終戦を終えた後、一年の終わりを国内ツアー最終戦「日本シリーズJTカップ」4位で締めくくった。24年は日欧共催「ISPS HANDA 欧州・日本どっちが勝つかトーナメント!」を含めて国内で3試合出たが、25年は欧州一本に絞る予定でいる。
「まずは体を万全にして。新しいドライバーも出るので、テストしながら開幕に向けて準備しようかなと思っています。ロサンゼルス五輪に出たい気持ちも、もちろんある。次はメダルを獲って戻って来たい」
2025年の初戦は、初出場の「ヒーロー ドバイ デザートクラシック」(UAE・エミレーツGC/1月16~19日)。4年後のロサンゼルスに向けても、すでに気持ちは固まっている。