2023年に主戦場を日本ツアーからDPワールドツアー(欧州ツアー)に移した星野陸也は、2年目の24年に飛躍を遂げた。2月の「カタールマスターズ」で海外初優勝を飾り、年間ポイントレース(レース・トゥ・ドバイ)で16位となり、有資格者を除く上…

欧州ツアーを戦い抜いて2025年は米国ツアーへ。星野陸也の2024年ロングインタビュー

2023年に主戦場を日本ツアーからDPワールドツアー(欧州ツアー)に移した星野陸也は、2年目の24年に飛躍を遂げた。2月の「カタールマスターズ」で海外初優勝を飾り、年間ポイントレース(レース・トゥ・ドバイ)で16位となり、有資格者を除く上位10人枠に入って来季のPGAツアー(米ツアー)出場権を獲得した。初勝利後の4月に「気胸」を発症、戦線離脱を強いられながら乗り越えた、波乱のシーズンを振り返った。(聞き手・構成/桂川洋一、谷口愛純)

御殿場のアクシデント

欧州ツアー初優勝から2か月後、まさかの病に襲われた

茨城県笠間市の実家。5月に入り本格化したゴルフシーズンをよそに、星野はひとり自室に籠っていた。約2カ月に及ぶ休養を強いられ、メジャー「全米プロ」等をやむなく欠場。心はすさんでいた。「(パリ)五輪もパーになった。悔しくて、テレビで試合も見たくなかった」。6歳ではじめたゴルフと、これほど距離を置いたのは初めて。クラブを離した手で、暇つぶしのためにネットで買った立体型パズルを作って、時が過ぎるのを待った。

肺に穴が開いた――。キャリアどころか命の危機に晒されたのは、日本開催の欧州ツアー「ISPS HANDA選手権」を数日後に控えた4月。会場の静岡・太平洋クラブ御殿場コースに車で向かっていた途中、体に異変を感じた。「肺のあたりが痛く、呼吸がしにくい。確かにその頃、少し動いただけで息が上がることがよくあった。ホテルに着いて『次の日には治るだろう』と思っていたけれど、仰向けで寝られないほどの激痛になって…」

星野陸也は休養中に立体的なパズルに興じていた。大好きな「遊戯王」のモノで「めちゃくちゃ難しい」(提供画像)

近くの救急病院に行ってレントゲンを撮ると医師に「右の肺がつぶれている」と言われた。肺に穴が開き、正常に機能しない気胸という疾患。空気が漏れ続けると、肺が萎む代わりに、周りの胸腔が膨張して静脈や心臓を圧迫してしまう。「一歩間違えれば死んでしまう」。そのまま沼津市内の大学病院に搬送された。未明の緊急オペは胸に太さ1cm以上のチューブを挿入する胸腔ドレナージ。「“超”酸欠状態」のまま麻酔で意識が遠のいたのは午前4時頃だった。

「麻酔が切れてきた時にはもう、唸り声が出るくらい痛かった。体の中も、管に触れている皮膚も痛い。半日ぐらいずっと唸っていた」。痛みが引いてからも1週間入院。2月に「カタールマスターズ」で日本人史上4人目の欧州ツアー優勝を飾り、凱旋出場となるはずだった母国大会を欠場するどころか、1カ月の運動禁止令が出された。

前年11月に始まった2024年シーズン。開幕2試合でいずれも2位、6試合目で初優勝を飾り、年間ポイントレースはロリー・マキロイ(北アイルランド)に次ぐ2位につけていた。「マキロイは欧州で別格なんです。選手たちやツアーの人たちからも『お前、すごいじゃん。ロリーの次だぞ。今のうちに(ランキングの)写真を撮っとけよ』なんて言われて」。最高の滑り出しから、状況は一変した。

パインハーストでカムバック

パインハーストNo.2で行われた「全米オープン」で復帰した(提供画像)

トレーニングが解禁された5月下旬、ランニングを始めたはいいが「200、300m走っただけで息切れしてしまう」ほど心肺機能は衰えていた。復帰時期を探っていたところ、6月の「全米オープン」に出場できることが分かった。会場は主催の全米ゴルフ協会(USGA)のおひざ元であるノースカロライナ州パインハースト。巨大ゴルフリゾートの「No.2コース」は世界屈指の難コースとして知られている。

状態を考えれば“戦えない”と分かっていながら、渡米を決めた。「ゴルフから離れて、プレーする感覚がなくなった。パインハーストほど難しければ、究極に神経を研ぎ澄まさないといけない。だからこそ、そういうコースで回れば感覚は戻るんじゃないかと。出てみたら案の定、試合勘が一撃で戻ってきたんですよね」。2日間で「78」「81」をたたき、予選落ちに終わっても、得たものは大きかった。

アムステルダムでの混乱

「自分をベーシックに戻すための練習をしてもダメだった」

“一撃で”よみがえったゲーム勘。しかし星野の苦悩はそこから本格化した。全米オープンの翌週、オランダの「KLMオープン」から欧州連戦に入ったが、気胸発症以前のスイングの感覚、身体の動きが思い出せない。

「グリップを握る強さが分からない。左手を強く握ることは分かっていたけれど、右手でどれくらい優しく握っていたのか…」。海外のほとんどのコースは日本のゴルフ場よりも地盤が固く、グリップ圧が弱いと、アイアンショットなどでヘッドが簡単に弾かれる。だから、右手におのずと力をこめるようになった。悩みの時間は昼夜を問わず、両こぶしを強く握りしめたまま目覚めた朝もあった。

「テークバックも、どこの筋肉を使って上げていたか分からない。クラブが重く感じるし、ヘッドが自然と開いてしまう。スイングの軌道も、インパクトでヘッドがどこを向いているかも分からない。人生で初めて“打ってみないと球がどこに飛ぶか分からない”状況だった」

ミュンヘンでの天啓

欧州大陸で悩みに悩んだ

手の施しようがない窮地で「感覚が戻るのをガマンして待つ」ことを決めた。「そこでスイングを大幅に変えようとしたら、イップスになるかもしれないと思った。開いて入ってくるクラブを、無理やり閉じようとしたりすれば、余計に分からなくなるかもしれない」。離脱期間とシーズンの残り試合を考えれば当然、焦った。PGAツアーに続く扉を開く千載一遇のチャンスが目の前にある。それを手放す可能性があっても、もっと大きなリスクを避けるべく事を急がなかった。

決断は吉と出た。7月、ミュンヘンで行われた「BMWインターナショナルオープン」。復帰4試合目で6位になった。

「ドイツの火曜日、朝の練習場でいきなり天から降ってきたみたいに、手の感覚が戻ったんです。グリップを握る強度も、テークバックの動きも50%くらい戻った。もうそれがうれしくて。結局戻すのに6週間かかったけれど、これで次にスイングに何か起こった時も戻せるという自信にもなりました」

ドバイでの安堵

ドバイでの最終戦も最後まで気が抜けなかったという。2025年は米国だ!

中盤戦の浮沈を経て、星野はポイントレース上位をキープしてシーズン最終戦を迎えた。11月、アラブ首長国連邦での「DPワールド ツアー選手権 ドバイ」はランキング50位までのエリートフィールド。「感覚は優勝したカタールのときの状態に近いくらいに戻っていた」と感じつつ、PGAツアー出場権の獲得圏内にいて、追われる立場として気が抜けない。

「予選落ちがないし、最後の2試合はボーナスゲームみたいな感じで。優勝のポイントが500ptだったのが、いきなり1500pt、2000ptになる」。年間レースを最後まで盛り上げる仕組みとはいえ、最終戦優勝者のポイントが、自分がカタールで獲得した4倍なのだから、たまったものではない。

「なんだよ、それ!みたいな…。直前の(アブダビHSBC選手権)で優勝したポール・ワーリング(イングランド)は最終戦に進めるかどうかの瀬戸際から、いきなりPGAツアー進出を確定させた。だから、めちゃくちゃ緊張しました」

最終日は前半7番までに1イーグル3バーディ。安泰と思われたところ、上がり2ホールでダブルボギー、ボギー。ホールアウト後は、クラブハウスのレストランで他選手のフィニッシュを待った。ポイントレース16位、有資格者を除く9番目のポジションを確保し、PGAツアーへの扉を開いた。「キャディとずっとスマートフォンを見ていました。あぶねえ…最後、耐えた…と」

胸いっぱいに吸い込んだ息が、安堵の声と一緒に口から漏れた。

<後編へ>