9歳で渡米し、南カリフォルニア大ゴルフ部では “オールアメリカン”に選ばれた大西魁斗。参戦2年目で初優勝した米下部ツアーから、来季はPGAツアーに昇格する。順調に映るキャリアは、おおらかな感性と強い意志でつかんだもの。インタビュー前編では…

ジュニア時代からの歩みを振り返る

9歳で渡米し、南カリフォルニア大ゴルフ部では “オールアメリカン”に選ばれた大西魁斗。参戦2年目で初優勝した米下部ツアーから、来季はPGAツアーに昇格する。順調に映るキャリアは、おおらかな感性と強い意志でつかんだもの。インタビュー前編では、ジュニア時代から現在に至るまでの原点を振り返る。(取材・構成/谷口愛純)

予選落ちを喜ぶ父と、母の教えで磨いた感性

母・泉さんのレッスンについて行ったことがきっかけで始めたゴルフ。母のレディースクラブをかき集めて渡米してから17年、来年は世界最高峰と称されるフィールドが待っている。

「こうなるとは一切思っていなかった。“あ、うまく行ってるな”っていう感じ。人生って、思ったように行かないじゃないですか。後悔しないように進んで、もしダメならまたやり直せばいい」

人を楽しませるトーク力も魅力の一つ

おおらかな価値観は、両親の教えと努力の末に身についた。父・泰斗(ひろと)さんが英語関係の仕事をしていたこともあり、9歳の夏、英語とゴルフ上達のために渡米。プロアスリートの育成に力を入れるIMGアカデミーで腕を磨いたが、ゴルフ“一辺倒”にはならなかった。

「ゴルフに関するプレッシャーはゼロ。母には成績のことは厳しく言われていたので、そこはちゃんとやりました。アカデミーに入ったときはすごく勉強ができたわけじゃなかったので、“このままなら良い大学に行けないから、勉強もしないと”と言われていて。

そのせいかは分からないけど、しっかり教育を受けていれば、ゴルフが悪くてもどうにかなると思えた。大学のときも、ゴルフは悪かった、でもこの前のテストの成績は良かったから、まあ良いかって。逆もそう。そういうのでバランスを保っていたのかも」

父も、昔からゴルフには口を出さない方針だった。

「父はボクが好きだと思うことをして、元気にやっていたらそれで良いと。ゴルフに関しては、予選落ちしたら“早く帰れて良かったじゃん!家族でご飯が食べられるね”って。プロになってからも、ゴルフの試合は一度も見に来ていないんです」

両親の教えを守ることでゴルフに打ち込めた。学業においてもトップレベルにある南カリフォルニア大のコーチから声がかかったときも、成績がネックになることなく入学が認められた。

ボクの戦いは学期開始1週間。どれだけ友達を作れるか

2018年の国内ツアー「セガサミーカップ」は大学のユニフォームで参戦

「将来自分のためにならない分野を勉強しても意味がない」。大学ではビジネスを専攻したが、人気の学部は特に優秀な学生が集まる。「同じ専攻のチームメートは頭の良い子がたくさん。卒業後はKPMG等のコンサルに勤めている人もいる」。ゴルフと学業の両立は覚悟した以上に大変だった。

「遠征が多いので、ボクの戦いは学期が始まってからの1週間。そこでどれだけ友達を作れるかで、遠征中の授業のノートをもらえるかが決まる(笑)。そのおかげで卒業できました」

遠征がない日も遊ぶ時間はない。「月曜から金曜までがチーム練習。朝5時45分に起きて6時5分に部屋を出て、コースに着いたら1番から18ホール。週2回はキャンパスに戻ってトレーニングを1時間。ボクの場合は月曜~水曜は12時~18時30分まで授業、そこから宿題。毎日深夜1時くらいまでやるので、基本はずっと睡眠不足でした」

厳しい分、ゴルフの環境は最高峰。チームが回れるコースには、PGAツアー「ジェネシス招待」会場の名門リビエラCCも入っている。「いまはローリングヒルズCCがメインコースで、トランプナショナルGC、たまにロサンゼルスCC。リビエラCCは、10~12人いるチームのうちトップ3にメンバーシップを渡しているんです」。リビエラを回れる特権のひと枠は、もちろんゲットした。

就職がよぎったスランプと、恩師との出会い

夢中で話したら3時間が経っていた

チームメートの一番手は、2023年からPGAツアーに本格参戦したジャスティン・サー(米国)。ゴルフ部では彼に次ぐ実績を残してきたが、スランプは突然訪れた。

「2年生はオールアメリカンにも入って人生で一番ゴルフの成績が良かったけど、“ちょっとスイングが違うな”と思っていたら3年で絶不調が来た。ゴルフをやめようかなって思うくらい」

ほぼ独学で作ってきたスイングは、違和感があっても直し方が分からない。一般企業への就職も考えたが、就職活動を始めるにはすっかり出遅れていた。

「みんな1年の夏からインターンシップ(在学中の企業研修)をやっていたけど、ボクは1回もやっていなかったし、卒業することだけを考えていた。まずいと思って金融系の会社の面接まで行ったけど、インタビューの日時が決まったとき、はじめて実感した。“就職じゃない、ゴルフをまだ諦めたくない”って」

その頃に内藤雄士コーチに出会った。きっかけは、同世代の友人・丸山奨王(ショーン)の父である丸山茂樹。「丸山さんとは10歳頃から一緒にゴルフをさせてもらうようになって、ずっと尊敬して憧れる選手。本当に人生どうしようと思っていた時、丸山さんに誘っていただいたバーベキューで初めて内藤さんと話しました」

不調を脱するのに必死だった。「良い時と悪い時のスイングを3時間くらいずーっと見てもらって。流れを全部説明したうえで答えをもらいたかった。周りにはバーベキューも豪華なお寿司も、おいしそうなご飯がたくさんあったんですが、スイングを見てもらうことに忙しくてほぼ食べていなかった。“やっとこのモヤモヤが出せる!”って(笑)」

コロナ禍をチャンスに変えた 特訓の半年間

内藤コーチとつかんだフジサンケイでの初優勝

当時の大西について、内藤氏は「いろいろ崩れている状態だったので、すべて作り直す感じだった」と振り返る。悩みをぶつける相手を見つけた矢先、新型コロナウイルスのパンデミックで状況が一変した。

「大学の試合もできなくて日本に帰って来た。その頃は内藤さんのお仕事もコロナで滞っていたので、大学3年(21年)の3月頃から半年くらい、スイングをやり直す特訓が始まりました。就職はしたくない、じゃあゴルフを諦めないためにこれから何をするかといったら、この不調をどう切り抜けるか。一から直して、それでダメならしょうがない。そう思って、直してもらうことに決めました」と大西が振り返った。

オンラインで大学の授業を受けつつ、内藤コーチとスイング改造に取り組み21年にプロ転向。同年は国内ツアーと下部ABEMAツアーに参戦した。

「もしゴルフがダメでも、勉強はちゃんとやっていたから人生やり直しは効く!」

くすぶる時期も、学生時代の積み重ねが心の支えになった。がむしゃらにゴルフに打ち込む日々が実を結ぶまで、そう時間はかからなかった。

シーズン統合の20-21年ABEMAツアー賞金ランク15位の資格で、22年の国内ツアー前半戦に出場。9月「フジサンケイクラシック」でパク・サンヒョン(韓国)とのプレーオフを制してプロ初優勝をあげた。

「ゴルフ一筋でやったほうがうまく行くパターンもある。でも、スポーツで成功するには運や出会い、悪い時にどんな人に会えるかのタイミングも大きいと思う。ボクにとっては丸山プロや内藤さんとの出会いがそうで人生を変えた。内藤さんはコーチですけど友達に近い存在で、シーズン中はほぼ毎日電話で話す。丸山さんもメッセージのやり取りをさせて頂いて重みがある言葉をくれる。いまの自分を作って頂いていると感じています」

初優勝と同年、米ツアー出場をかけた最終予選会で12位に入って主戦場を米国へ。ここからまた“修行”の日々が始まった。

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