パブリックビューイングの夜、スクリーンに映る仲間たちの姿に奮い立たされた。元サッカー日本代表の李忠成さん(38)が、五輪後に深刻な燃え尽き症候群に陥っていたことを明かした。YouTubeチャンネル「SHOVEL SPORTS」で公開中のイ…

 パブリックビューイングの夜、スクリーンに映る仲間たちの姿に奮い立たされた。元サッカー日本代表の李忠成さん(38)が、五輪後に深刻な燃え尽き症候群に陥っていたことを明かした。YouTubeチャンネル「SHOVEL SPORTS」で公開中のインタビュー動画で、2008年の北京五輪に出場した直後のことを振り返った。

 J1東京でトップチームに昇格しながら、わずか1年後に「きちんとした社会人になりたい」と自ら申し出て契約解除。大学受験の準備を進めていたが、J1柏に声をかけられ再びプロになった。加入2年目の2006年にはJ2で31試合出場8得点。一気に注目の存在になった。

 「僕の場合は、夢とか目標って遠くに持たないですね。遠くに持つとどれくらいの距離か分からないじゃないですか。試合出た時に初めて、オリンピック代表、日本代表っていうのが見えてくるんですね。じゃあオリンピック代表になるためにはどうすればいいか。1シーズンで10点取ればいい、10点取れば代表になれる、と」

 クラブがJ1に復帰した翌2007年、KPIとした10得点を達成。想定していた通り、2008年の北京五輪に出場できた。しかし、その直後にモチベーションを失ってしまったという。

 「オリンピックっていう山を登っていって、登った時に僕の場合は次の山が見えなかった。燃え尽き症候群とかよく言うじゃないですか。何をしても感動がない。人間としてもそうだし、サッカー選手としてもそう。Jリーグで点を取っても活躍しても感動がない。そうなるとパフォーマンスめっちゃ下がります」

 環境をかえることで何とか自分を奮い立たせようと広島に移籍したが「そこでも全然ダメでした」。転機となったのは、2010年のサッカーW杯南アフリカ大会だった。

 「広島の友達と、パブリックビューイングに行こうとなって、日本代表のサッカーを見たんですね。みんなと一緒にお酒飲みながら。僕はレモンサワーだったか、ジントニックだったかを持って、乾杯って言って。そうやって試合をずっと見てる時にふと『俺、何やってるんだろう』っていう気持ちになった」

 長友佑都、岡崎慎司そして本田圭佑。スクリーンには、2年前に北京五輪で一緒に戦った仲間たちの姿が映し出されていた。

 「あいつら本気になってサッカーしてるんですよ。俺は何やってんだろうって。なんでお酒持ってんだろうって。向こうは世界一になろうと思って、転んで、タックルされて、シュート打って、みんなで喜んで。俺はこの2年間、何やってたんだろうっていうのを、パッて思った瞬間に、すっごい悲しかったですね。悔しいじゃなくて、悲しすぎて。そういう気持ちが生まれた瞬間に、次に登るべき山がブワーって見えたんですよ」

 4年後は自分もW杯で世界一を目指して戦う。そう決意したことで、明確な短期的目標を持てるようになった。

 「Jリーグでも圧倒的なスキル、圧倒的なパフォーマンスを見せて、A代表にならなきゃいけない」

 直後からJ1で12試合11得点と驚異的な結果を残してフル代表入りすると、翌2011年1月のアジア杯決勝では延長後半に左足ボレーを決め、チームを優勝に導いた。今なおファンの間で語り草になっている伝説のゴールは、燃え尽き症候群の克服という背景があったからこそ生まれた。

 李さんは動画内で、日本代表入りを果たすために考えたという当時の練習方法も具体的に明かしつつ「ここまでやってダメだったら仕方ないじゃん、っていう境地に立った時、人はすごく強くなる」と熱っぽく語った。