サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような、「超マニアックコラム」。今回は、サッカーが起こした「聖なる夜の奇跡」について。■収まる気配のない「2つの侵攻」 クリスマスが近…
サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような、「超マニアックコラム」。今回は、サッカーが起こした「聖なる夜の奇跡」について。
■収まる気配のない「2つの侵攻」
クリスマスが近づくと、いつもこの話を思い出す。第一次世界大戦のさなか、1914年のクリスマスに、「連合国」と「中央同盟国」の双方の兵士が自主的に「停戦」し、戦場のまっただなかでサッカーの試合をしたという話である。
それから110年後の今日、レバノンの武装勢力ヒズボラとイスラエルの間の戦闘は、一応レバノンとイスラエル両国政府の間で停戦の合意がなされたが、今後どんな展開になるか、危ぶむ声も高い。そしてパレスチナのガザ地区へのイスラエルの侵攻と攻撃は、まったく収まる気配もない。
さらに、侵攻したロシアに対するウクライナの抵抗と反攻は、欧米諸国の思惑に振り回され、そこに北朝鮮までからんできて泥沼化し、来年の2月には侵攻丸3年を迎える。
そんな時代だからこそ、今年もクリスマスには世界中でこの話が語られるのだろう。日本でも、『世界でいちばんの贈りもの』(マイケル・モーバーゴ作、マイケル・フォアマン絵、佐藤見果夢訳、2005年、評論社)や、『戦争をやめた人たち-1914年のクリスマス停戦』(鈴木まもる文・絵、2022年、あすなろ書房)といった絵本などを通じて知られている。
■欧州大陸を「二分する」大戦争に突入
第一次世界大戦が勃発したのは1914年。日本でいえば大正3年に当たる。現在のボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボ(故イビチャ・オシムの生まれ故郷である)は、このころオーストリア・ハンガリー帝国の支配下にあったが、この1914年6月28日、訪問中の帝国皇太子夫妻が暗殺されるという事件が起こった。この事件をきっかけにバルカン半島情勢が悪化し、それまでの数十年間で構築されていた欧州各国の軍事同盟化もあって、8月には欧州大陸を二分する大戦争に突入するのである。
「中央同盟国」と呼ばれたのは、ドイツ帝国を中心に、オーストリア・ハンガリー帝国、オスマン帝国(トルコ)、後にブルガリア王国が加わる。一方、「連合国」と呼ばれたのは、イギリス帝国、フランス共和国、ロシア帝国、大日本帝国だった。「連合国」には、後にイタリア王国、ルーマニア王国、そしてアメリカ合衆国が加わり、文字どおりの「世界大戦」となる。
戦争は1年目から激しいものとなった。ドイツ軍とイギリス軍・フランス軍が激突した「西部戦線」は、互いに相手の背後に出ようという作戦から戦線が南北にどんどん延び、ついには中立国スイスとの国境から北海まで、500キロを超す長さで両軍が対峙する形となった。その前線では、機関銃などの殺傷能力が増したことで、互いに「塹壕(ざんごう)」と呼ばれる「空堀」のようなものを延々とつなげ、兵士の身を守りながら機を見て攻撃するという戦法がとられた。
互いに二重三重の塹壕を掘ることで10月ごろから戦線が膠着し、「連合国」、「中央同盟国」とも、数十万人の兵士同士がともに塹壕に入って対峙するという形になって、やがて冬になった。
■クリスマス停戦の呼びかけは「無視」
塹壕は、兵士たちが安全に移動できる深さとともに、わずかに頭を出して銃撃できるような足場がつけられていたが、表土を掘り抜いたところに木材で簡単に補強した程度のものだった。欧州の冬は降雨や降雪が多く、塹壕のなかには水がたまり、排水しても泥んこの状態で、兵士たちはその泥んこの上に銃と膝を抱えて座り、眠れない夜を過ごすということが続いた。
当然、塹壕のなかは不衛生で、伝染病、足の障害などさまざまな病気が発生した。さらには兵士たちが出した残飯を狙ってネズミが走り回り、食料の被害も少なくなかった。雨で濡れ、雪にこごえながら、兵士たちはネズミを追いつつ、いつ攻めてくるかわからない「敵軍」を待ち続けなければならなかったのである。
両軍の塹壕は百メートルから数百メートル離れて掘られ、その間には鉄条網で相手が簡単に前進できないようにした「無人地帯」があった。
12月始めには、戦争が始まってからローマ教皇の地位についたベネディクト15世(サルデーニャ生まれ)が両陣営に「クリスマス停戦」を呼びかけた。
「少なくとも天使が歌う夜には、銃声が聞こえないことを願います」
だが、このカトリック教会最高位聖職者のロマンチック(まさに「ローマ的」だ!)な言葉は、両陣営に軽く無視された。