2024年8月某日、フランス・ナント市内にある筆者のパソコンのZOOMは、宮城県仙台市とつながっていた。その画面に映し出されていたのは、ベガルタ仙台を率いる森山佳郎監督。当時、連日取材していたパリ五輪の現場で感じるような熱さを画面越しに感…
2024年8月某日、フランス・ナント市内にある筆者のパソコンのZOOMは、宮城県仙台市とつながっていた。その画面に映し出されていたのは、ベガルタ仙台を率いる森山佳郎監督。当時、連日取材していたパリ五輪の現場で感じるような熱さを画面越しに感じるほど、発せられる言葉も姿勢も強かった。
仙台を強くしたい――。
その一点に、森山監督の気持ちと体と頭のすべてが向けられていた。宮城県内で休めるポイントやお気に入りの店などはできたのか。そんなことを聞けば、返ってきたのはあまりにストイックな言葉。
「今は単身赴任をしているんですが、お昼はクラブハウスのケータリングがものすごくおいしくて、ホントに助かっています。夜は近くのスーパーの半額セールに行くか、近所の居酒屋にたま~に顔を出すくらいで、ほとんど家にいます。休日も家から一歩も出ずに映像分析をしている状況。お金も使わないし、練習場と家を行き来しているだけで。JFAの頃とは真逆の生活になりました(笑)」
言葉も口調も柔らかく、表情は柔和。話す内容とのギャップは、とても大きい。
驚きながらうなずく筆者に指揮官は、さらに、「やっぱり“仙台のためにやれることはないか”をつねに考えているし、強い情熱を持って自チームや対戦相手の映像をくまなく見たり、ミーティングのための映像や資料を編集しています。世界のサッカーを見る時間も減りましたけど、やることは本当にたくさんある。今は充実していますよ」と続けている。24時間、黄金のエンブレムを見つめる生活に自身を投じていたことは明白だった。
■「今日負けたとして、僕は絶対にすみませんでしたと言いたくない」
それだけに、森山佳郎監督がユアテックスタジアムの最終節で語った言葉には重みがあった。大分トリニータを2-1で破った11月10日。逆転でJ1昇格プレーオフ進出を決めた試合直後のピッチの上でのことである。
その喜びについて語ったあと、森山監督は「今日負けたとして、僕は絶対にすみませんでしたと言いたくないなって思ってました」と話す。つまり、J1昇格を目標に戦ってきたチームがそれを達成できなくとも、頭は下げたくなかったというのだ。
その理由について、選手もスタッフも寝る間も惜しんで昇格のために注ぎこんだからだと指揮官は明かす。沖縄キャンプからここまでの生活で、これ以上できることはないという自負が生まれた証である。
こんなにも熱い森山監督だが、戦略眼はいたって冷静だ。8月の時点で、「仙台は5・6位でリーグ戦を終えて、プレーオフを下から勝ち上がった方がJ1昇格を果たせるのかなというイメージもあります」と話して、チームが昇格するために何が最適なのかを見定めていた。
「大きな力に食らいついていく立場のチームで仕事をする方が合っていると思いました」
自身の立場と、ベガルタ仙台の立場とをシンクロさせて、そうも語る。
その通りに事が進むような世界ではないが、森山佳郎監督にとって望むべき挑戦する立場として3位のV・ファーレン長崎と対戦する。引き分けの場合はホームチームの勝ち上がりがとなる難しい一戦だが、逆に言えば、勝利だけを求める分かりやすい立場だ。
その長崎戦を前に、森山佳郎監督や敵将・下平隆宏監督、さらに秋野央樹や郷家友太は何を思っているのか――。
(取材・文/中地拓也)