パ・リーグ新人王 西武・武内夏暉の原点(後編) 西武で新人王を獲得した武内夏暉は、福岡・八幡南高時代、知る人ぞ知る好投手だった。高校3年間で身長185センチ、体重85キロと、堂々たる大型左腕に成長。3年春の北九州市長杯、星琳との決勝で完封勝…
パ・リーグ新人王 西武・武内夏暉の原点(後編)
西武で新人王を獲得した武内夏暉は、福岡・八幡南高時代、知る人ぞ知る好投手だった。高校3年間で身長185センチ、体重85キロと、堂々たる大型左腕に成長。3年春の北九州市長杯、星琳との決勝で完封勝利し、優勝に貢献。高校時代唯一となるタイトルを手に入れた。
もちろん、この一戦の好投も光ってはいた。だが、それ以上に、福盛徳之監督の脳裏から離れない試合がある。
武内夏暉の恩師である八幡南高の福盛徳之監督
photo by Uchida Katsuharu
【セレクションから1週間で合格】
「彼が3年夏前の練習試合で別府翔青高(大分)とやらせていただいたんですが、その日の投球がすごくて、印象に残っています。真っすぐは走るし、変化球を投げても打者が手も足も出ない状態で、打たれる気がしませんでした。高校時代のベストピッチだったと思います」
先発で7回を投げ11奪三振、無四球無失点。直球、変化球のキレ、制球力ともに申し分ない内容だった。ただ、高校時代、直球の最速は130キロとそこまでスピードはなかった。プロのスカウトの評価は「現時点ではまだ厳しい」ということで、将来的なプロ入りを目指して大学進学を決断。東都リーグの名門・国学院大のセレクションを受験した。
「私もセレクションに同行しましたが、シート打撃で大学生を完璧に抑えていました。内角にもズバッと投げていましたし、チェンジアップもよかったです」
バックネット裏では、国学院大で総監督を務める竹田利秋さんが会話を止め、食い入るように見つめていたという。東北高、仙台育英高(ともに宮城)で甲子園通算30勝を挙げた名将の目にも、武内の投球スタイルは興味深く映っていた。
「セレクションから1週間もしないうちに合格をいただきました。国学院大は練習の雰囲気が本当によくて、セレクションに来た高校生に対して、プラスの声がけで盛り上げてくれていました。武内も『この大学で絶対にやりたい』と言っていました」
最後の夏は福岡大会3回戦で豊国学園に5対7で敗退。八幡南高を創部初の甲子園に導くことはできなかったが、大学進学に備え、引退後もトレーニングを怠ることはなかった。当時副部長だった大津敦司教諭は「黙々とやるタイプ。意志は相当強いです」と、武内の性格を分析する。
武内が八幡南高在籍当時の副部長だった大津敦司教諭
photo by Uchida Katsuharu
「自分の感情を出すイメージはありません。いい時も悪い時も同じ形でやりきるというところが正直な印象です。高校時代、将来的にはプロでやりたいという思いをすごく持っていたと後日聞きましたが、それを表に出してやるわけではなく、自分のやるべきこと、しないといけないことがしっかりわかっていたんだろうと思います」
勉学面でも「真面目で、(野球部の練習で)力尽きて寝ているというのはいっさい見たことがありません」と振り返る。部活動が定期テスト前で休みの時は、勉強会にもしっかり参加。試験の結果が振るわず、居残り補習などで練習に参加できなくなることもなかった。
「今年の1月にウチの生徒の前で話してくれましたが、『あの勉強会はしんどかった』と言っていましたね(笑)。抜群にいいわけではありませんでしたが、成績で困ったことはありません」
【絶対にドラ1でプロに行きたい】
野球も勉強も手を抜くことなくやり切った高校3年間。大学入学前からコロナが流行し、多くの制限を受けたが、しっかりと練習を積み重ね、1年春には140キロを計測。2年秋にリーグ戦デビューを果たし、春秋連覇を達成すると、明治神宮大会では九州産業大(福岡六大学)との2回戦に先発し、8回二死までパーフェクトに抑える好投で無四球完封勝利を挙げた。
3年秋には4勝0敗、防御率0.68で2季ぶり優勝に貢献してMVPを獲得した頃には、最速も148キロに到達。戦国東都を代表する左腕に成長し、翌2023年ドラフトの目玉として注目された。
2022年末、福盛監督は実家に帰省していた武内と食事に出かけた。恩師として、大学入学後の成長度合いはもちろんうれしかったが、急激に出力が上がったことで、ケガのリスクが上がることも心配していた。
「彼には『そんなに球速を出さなくていいんじゃないの』と言ってしまいましたね。2年秋には140キロちょっとで九産大をピシャリと抑えたわけだし、スピードにはこだわらず、ドラ3くらいでプロに入れたらいいんじゃないかという話をしたら、彼は『絶対にドラ1でプロに行きたい』と言うんです。そのために150キロを出すことにこだわっていました」
武内も投球練習した八幡南高のブルペン
photo by Uchida Katsuharu
その"覚悟"を見た試合があった。昨年8月、大学日本代表の一員として臨んだ高校日本代表のU−18壮行試合で、寺地隆成(明徳義塾→ロッテ)を空振り三振に仕留めた直球は、当時の自己最速となる153キロをマーク。打者3人に投じた9球の直球はすべて150キロを超えていた。
「国学院さんでいい成長をしてくれたと思います。一気にというわけではなく、140キロ、145キロと段階を踏んで、4年生で150キロまでいったので、体への負担も少なかったのではないでしょうか」
【ベテラン捕手に感謝】
昨年ドラフトでは、3球団が競合の末、西武が交渉権を獲得。新人最高条件となる契約金1億円プラス出来高5000万円、年俸1600万円で入団。150キロでドラ1。有言実行で夢を叶えてみせた。
福盛監督は、武内がプロ入り後も連絡を取り合っている。今年の7月12日、八幡南高が夏の福岡大会4回戦で敗退したその日のナイターで、武内もプロ初黒星を喫したとあって「『八幡南が負けたから負けました』って連絡がきました」と笑う。
体重も入団時の93キロから100キロを超えたと聞いた時は、プロの環境のすごさに驚いた。途中、新型コロナ感染で離脱こそしたが、21試合に登板して10勝6敗、防御率はリーグ2位の2.27。ルーキーとして堂々たる成績を残し、1年間を戦い抜いた教え子を「すごく運がいいですよね」と評する。
「捕手との巡り合わせもありますよね。(全21試合中20試合でバッテリーを組んだ)炭谷(銀仁朗)選手が、長所をうまく引き出してくれたと思っています。ちゃんとお礼はしているのかな(笑)」
プロでどんなに活躍しても、教え子であることに変わりはない。今年以上の結果が求められる来季。福盛監督は「とにかくケガなく頑張ってほしい」とエールを送る。
「どうしてもケガをすると、そこで終わってしまうので。欲は言わずに、息の長い選手でいてくれることが一番です。ただ、まだまだ伸びしろはあると思っています」
同じ北九州市内の公立校出身である今永昇太(北筑高--駒大--DeNA--カブス)ですら、新人王のタイトルは獲れなかった。八幡南高から巣立った左腕は、今後どのような成長曲線を描いていくのか。地元の期待も一身に背負い、勝負の2年目へと向かう。