豊田陽平インタビュー(後編) 豊田陽平(39歳、ツエーゲン金沢)は、名古屋グランパスでデビューして以来、J1で通算98得点を叩き出している。サガン鳥栖在籍時代には、(カップ戦を含めて)5シーズン連続15得点という記録も立てた。J2でも201…
豊田陽平インタビュー(後編)
豊田陽平(39歳、ツエーゲン金沢)は、名古屋グランパスでデビューして以来、J1で通算98得点を叩き出している。サガン鳥栖在籍時代には、(カップ戦を含めて)5シーズン連続15得点という記録も立てた。J2でも2011年に得点王を受賞し、通算で64ゴールだ。
2024年シーズンも現役を続けた、Jリーグを代表するストライカーのひとりと言えるだろう。
北京五輪ではナイジェリア戦で、日本人のこの大会唯一の得点を記録している。日本代表でも、2014年のホンジュラス戦でゴール。2018年に半年間を過ごした蔚山現代での2得点などを含めて、あらゆる大会を合計すると、プロとして200得点近くを叩き出していることになる。
そんな豊田が考える「ストライカーの資質」とは?
2022年からツエーゲン金沢でプレーする豊田陽平 photo by YUTAKA/AFLO SPORT
プロになるようなFWは、多かれ少なかれ、何かが優れている。周りとうまく調和できれば、1シーズン5~6得点はできる。カテゴリーを上げることも可能だろう。しかし、そこからゴール数を二桁に乗せ、それを何年も連続させることは簡単ではない。言わば、二流と一流の差が出る。まさにストライカーの資質が問われるのだ。
「ピッチでは、"ヒールになる"のを意識していました」
豊田はそう言って、ストライカーの極意を語っている。
「自分としては悪役を演じていたつもりです。本当の自分は、そこまでヒールではない(笑)。石川県の人間のメンタリティもあると思いますが、人見知りで、善良で、気候的にも耐え忍ぶDNAを持っているというか......それは県人としての誇りで、すべてを捨て去ることはないけど、そのままでトッププロを戦うのは難しく、潰されちゃう。全国や世界には、ぶっ飛んでいる選手たちもいるので」
トップレベルに辿り着いたストライカーは、ピッチでは思った以上に"ワル"である。さもなければ、懸命に守る相手に"引導を渡す"ことはできない。それは技術や体力以上の、資質の問題なのだ。
「嫌われてもよかったです」
豊田はそう明言している。
【「優しさが仇になっている」】
「さもないと、厳しいせめぎあいのなかで点数を重ねられないですから。対戦した選手たちの自分の評判は、聞いたらよくないんじゃないですかね。でも、ディフェンスを気にしていられない。一度、削られたあとに『ごめん、ごめん』と謝られて、僕は『いいですよ』と反応したことがあって......不思議と点が取れませんでした。それは日本人的な優しい反応だと思うんですが。そこで戦うスイッチが切れちゃうんですよね」
以来、ピッチに立った時の豊田は容赦なく牙をむいた。試合前は、相手選手とも極力話さない。まさに戦場に挑むような心境だ。
実戦的なストライカーになろうと努めた。たとえばシュート練習は、あくまで試合を想定して打ったという。だから精度は落ちることになり、「シュートがうまくない」と陰口を叩かれることもあった。しかし、シュート練習のシュートがうまいことなど何の価値もない。試合で得点を生み出せるか――。
実際、鳥栖時代の試合は、練習が嘘のように驚くべき決定率を誇っていた。
〈甘えや自己満足や優しさは削ぎ落とす〉
豊田はそれを貫いた。
先日、金沢での練習中だった。ひとりの若いFWがポストに入って、味方にボールを落とした。相手を考えたパスだったのだろうが、そのために強度が足りず、ぼてぼてになって、敵に奪われてしまった。
「優しさが仇になっている。そういうのは必要ない」
豊田は後輩FWを諭したという。ただ、それを頭だけでなく体で理解するには、覚悟が必要になる。なぜなら周りに厳しく接することは、自らへの厳しさに跳ね返ってくるからだ。
何より、全力でストライカーであることを貫いた豊田の精神は、鳥栖という土壌にうまくマッチした。
「鳥栖では犠牲心を求められ、チームのために戦う、というところで。そのためには、どこまでも悪者になれましたよ。むしろ、率先してヒール(笑)。イエローカードをもらうのも、チームのためなら問題ない。ユン(・ジョンファン監督)さんがいた当時は、『味方が削られたら、やり返せ』というチームだったので、自分に合っていました。鳥栖だったからこそ、"サッカー選手・豊田陽平"というブランディングが加速したのだと思います。チームのために戦う、という悪役には、ストレスがなかったですから」
その結果、豊田は敵から恐れられるストライカーになった。それだけの実力があった、とも言えるが、自らが作り出したパーソナリティこそ、欠かせない要素だったのだ。
「ピッチ内では悪役だったので、ピッチ外では"徳を積む"という気持ちは強かったですね。ズルはしないことだったり、道端で転がっているゴミは自分から拾ったり、とかですが」
彼はそう言って笑ったが、そうやって心のバランスを取っていたのだろう。そこまで徹底しなかったら、これだけ点を取り続けることはできかったのかもしれない。
「嫌われたらどうしよう?」
そんな"怯懦(きょうだ)"に負ける善人は、ストライカーの資質を欠いているのだ。
【profile】
豊田陽平(とよだ・ようへい)
1985年、石川県生まれ。星稜高校卒業後、名古屋グランパス入団。その後、モンテディオ山形、京都サンガ、サガン鳥栖、蔚山現代、栃木SCでプレーし、2022年からツエーゲン金沢に。2008年、北京五輪に出場。2013年、アルベルト・ザッケローニによりフル代表に初選出。