「左投手キラー」として活躍した元西武の犬伏稔昌氏 元西武の犬伏稔昌氏は「左投手キラー」として活躍。15年間プレーした。1990年ドラフトで3位指名を受け、大阪・近大付高から入団したが、当時の西武には渡辺久信、工藤公康ら黄金期を支えたスター選…

「左投手キラー」として活躍した元西武の犬伏稔昌氏

 元西武の犬伏稔昌氏は「左投手キラー」として活躍。15年間プレーした。1990年ドラフトで3位指名を受け、大阪・近大付高から入団したが、当時の西武には渡辺久信、工藤公康ら黄金期を支えたスター選手がズラリ。捕手として高卒入団した犬伏氏は萎縮し、ブルペンでの返球で「イップスになりました」と当時を振り返った。

 高校時代は1年生でただ一人ベンチ入りし、新チームになってからは主に「4番・一塁」としてプレー。3年時には春の選抜大会で優勝を果たした。プロ注目の選手となっており「1、2位はなくても、声はかかるんじゃないかと思っていました。西武と近鉄は指名してくれるんじゃないかなという感じでした」。ただし、指導者の考えで3位までに指名されないと近大に進学しなければいけないという状況だった。

 迎えた当日、亜大の小池秀郎が8球団から指名を受ける注目のドラフトとなり、犬伏氏は監督室で祈る思いで中継を見ていた。2巡目が終わっても名前が呼ばれない。迎えた運命の3巡目、8球団目の近鉄は別の選手を指名。残る“希望”の西武は指名順位が12番目だった。

「中継を見ていたら、ちょうど西武が発表するタイミングで番組終了の時間となってしまいました。まさに画面に『この番組の提供は……』って企業名が出ているときに犬伏稔昌という名前がバンと映ったんです。その直後に中継が終わってCMになりました。とにかく名前が呼ばれて嬉しかったですね。これでプロに行ける、と」

 高校時代は一塁だったが、なぜか捕手として登録された。担当スカウトからは「経験あるだろう?」。捕手経験は中学の時に少しやっていただけだった。「何で捕手だったんですかね。でもそのおかげで長々とプレーできたと思っています。捕手はなかなかクビを切られないので」。

高卒1年目…スター投手陣への返球でイップスに

 中学時代以来の捕手としてプロの世界に飛び込んだ犬伏氏は「初めてのことばかり。全然、何が何だから分からない。ブロッキングも1から練習です。なんせ高校でキャッチャーをやっていないんですから」。2軍キャンプで特訓の日々を過ごすなか、2月下旬に1軍の捕手が怪我をしたために急遽、1軍メンバーに呼ばれた。

 当時の西武は常勝の黄金時代。工藤公康、渡辺久信、潮崎哲也、渡辺智男……そうそうたる投手陣が揃っていた。そこへ「何でか分からないのですが」捕手経験の浅い高卒入団の18歳の犬伏氏が加わった。豪華すぎる投手陣のブルペンで萎縮。「初めてイップスになりました」と告白した。

「投手までボールを返せないんです。返そうと思ってもボールが手から離れない。考えられないようなところで離れてボールは下にいく。『なんで!?』って。焦りますよ。先輩方は『ちゃんと投げろよ』みたいな空気になっていて……それはそれは悲惨でしたよ(笑)」

 それでも1軍から外されることなくオープン戦も帯同。衝撃を受けたのは、その年の最優秀中継ぎ投手となった守護神・鹿取義隆の球だった。「構えたところにバシバシくるんです。『スライダーいくよ。ミットはもう少し下、もうちょい右。そう、そこ構えとけよ』。すると、そこにスパーンとくるんです。1番すごいと思ったのは鹿取さんでしたね」

 イップスを抱えながらも何とかオープン戦期間を“完走”。開幕前に2軍行きとなったが「2軍に落ちたらイップスも治りました。ブルペンでの最初の1球目で普通に返せました。何や、投げられるやんって」。1軍の緊張感をまざまざと思い知らされた高卒1年目の春だった。(湯浅大 / Dai Yuasa)