9月15日、マクラーレン・ホンダは今季限りでの提携解消を発表した。 その発表にどんな美辞麗句が並べられようとも、世間はこの”離縁”を、一向に性能の上がらないホンダに業(ごう)を煮やしたマクラーレンが絶縁状を叩き…

 9月15日、マクラーレン・ホンダは今季限りでの提携解消を発表した。

 その発表にどんな美辞麗句が並べられようとも、世間はこの”離縁”を、一向に性能の上がらないホンダに業(ごう)を煮やしたマクラーレンが絶縁状を叩きつけたものと受け止めるだろう。



記者会見壇上の山本雅史MS部長(左)、森山克英執行委員(中央)、フランツ・トスト・トロロッソ代表(右)

 しかし、それは半分正解で、半分は誤りだ。

 F1復帰から3年目を迎えてもなお、ホンダのパフォーマンスと信頼性がマクラーレンやファンの期待に沿うものでなかったことは、紛れもない事実である。メルセデスAMGやフェラーリには40kWもの差をつけられ、スペック4の投入も遅れた。加えてトラブルも相次ぎ、ストフェル・バンドーンは第13戦・イタリアGPで今季10基目のターボチャージャーとMGU-H(※)を投入するに至った。

※MGU-H=Motor Generator Unit-Heatの略。排気ガスから熱エネルギーを回生する装置。

 ただし、40kWのパワー差はラップタイムにして0.6~1秒程度であり(サーキット特性により異なる)、ルノーとの差はその半分でしかない。ホンダが予選モードを使えば、その差はなくなる。「メルセデスAMG製パワーユニットならトップを争えた」「ストレートだけで3秒失っている」と喧伝されたほどの差があったわけではない。

 信頼性の問題についても、ベアリングやシャフト、オイルタンクといった一部パーツの不具合によるもので、エンジン本体の根本的な設計に問題を抱えていたわけではない。もし年間4基という制約のための封印制度がなければ、走行後に分解点検やベンチ上での確認を行なって未然に防げたトラブルも少なくなかった(現規定下では使用済みパワーユニットに対するこうした作業は禁じられている)。

「3年もやってきて、まだこの体(てい)たらくか?」

 世間からはそんな厳しい声も聞こえてくる。確かにランキング6位まで浮上した昨年の経験が、まったく生かされていないようにも見える。

 しかし昨年3月、長谷川祐介がF1総責任者に就任したホンダは過去2年間を捨て、2017年に向けてまったく新しいコンセプトのパワーユニットをイチから作り直すことを決めた。半年遅れの開発スタートは、そのまま半年遅れのシーズン開幕となった。未完成のまま実戦投入せざるを得なかったのが開幕仕様のスペック1であり、ようやく開幕時点で本来あるべきだった姿に追いついたのが、6月末の第8戦・アゼルバイジャンGPに投入されたスペック3だった。

「2015年よりも厳しい状況に見えるかもしれませんが、昨年までのパワーユニット仕様では限界値が決まっていて、将来に向けてマクラーレンとともに頂点を狙っていくためには、それでは無理だったんです。新たなチャレンジが必要だということは、去年の夏ごろにマクラーレンとも話をして決めたことです。ただ、思った以上に我々が苦労しているということもあります。それでも新たな方向は見えてきていますし、今のスペックに切り替えたことについては正しいことだと考えています」(ホンダ・山本雅史モータースポーツ部長)

 2017年はホンダとしては「3年目のシーズン」だが、ある意味では「新たな挑戦の1年目」とも言えた。だから開発に遅れも生じれば、細かなトラブルもあった。

 しかし、マクラーレンはホンダの未完成パワーユニットに失望し、匙(さじ)を投げ、開幕前の段階からメルセデスAMGへのスイッチを模索していた。3月の段階ですでに、メルセデスAMG製パワーユニットの寸法を押し込んだ『MCL32B』という名の設計図さえ制作されたほどだ。

 メルセデスAMGへのスイッチはマクラーレンを除くF1界全体の総意として却下されたが、ホンダに対するマクラーレンやフェルナンド・アロンソの苦言は時に常軌を逸したレベルに達し、ホンダのマネージメント陣もこれには閉口せざるを得なかった。

 車体の開発が進んだシーズン中盤の時点では、車体単体で見ればハンガロリンク(第11戦)でトップから0.6秒差、スパ・フランコルシャン(第12戦)でも0.5秒差と、3強チームとはまだ差はあるものの中団グループ勢を上回るだけの車体性能は有しており、ランキング9位に低迷するような車体ではないというマクラーレン側やアロンソの気持ちもわからないではない。だが、その論調はあまりにエキセントリック過ぎた。

 ロン・デニスが昨年末に突如チームから追い出され、今年に入って保有していた25%の株式も手放すこととなった。チームはサウジアラビアの大富豪マンスール・オジェとバーレーン政府系ファンドのマムタラカトによって支配され、彼らによって指揮官に抜擢されたアメリカ人ビジネスマンのザック・ブラウンと彼の配下たちによって、マクラーレンはもうデニス時代とは別の組織へと変貌してしまった。

 過去のイメージを一新したいという思いと、ホンダ憎しの感情論で、新生マクラーレンはホンダとの決別へ邁進(まいしん)していった。

 7月中旬の第10戦・イギリスGP決勝後、シルバーストンのパドックで両陣営の首脳陣が出席して行なわれたステアリングコミッティー(運営委員会)は、2時間半の予定が1時間ほどで早々に散会となった。マクラーレン側が法外とも言える条件をホンダに突きつけ、話し合いにならなかったからだ。8月1日~2日のブダペスト合同テストにルノー製パワーユニットを搭載したテスト車両が持ち込まれるのではないかという噂さえ流れたほど、この時点でもうマクラーレンはホンダとの決別と、ルノーへの移行の意思を固めていた。

 それと同時に、ホンダ側もマクラーレンとの提携解消は望むところで、マクラーレン以外のパワーユニット供給先と交渉を始めていた。トロロッソだ。

 ザウバーとの提携解消が決まったころ、ウイリアムズと交渉かと噂されたことがあった。どうしてウイリアムズではなく、トロロッソだったのか――。端的に言えば、ウイリアムズは資金目当てのオファーであり、トロロッソおよびレッドブルからのオファーはそうではなかったからだ。

 山本MS部長はこう語る。

「以前どこかの記事で、トロロッソからの高額の資金的な条件が原因で供給交渉が破談になったという話が出ていましたが、そんなことは絶対ありません。あれは事実ではないし、完全に嘘です。ああいう書かれ方はトロロッソに対してもホンダに対しても、どちらに対しても失礼な話です」

 マクラーレンはルノーへ、ホンダはトロロッソへ、それぞれが自ら選んで円満離婚する。マクラーレンがホンダに見切りをつけたとか、トロロッソへ押しつけたというのは、まったくの誤りだ。

「マクラーレンとともに『ウィン・ウィン』の関係になれるとは思えなかったし、契約があるからと主張して強引にマクラーレンと関係を継続しようとしても『ウィン・ウィン』の関係にはなれない。ホンダとしては、自分たちのイニシアティブで勝負しています。我々は対外的に発信していないから、世の中の人は『ホンダが何もしていない』と思っているかもしれませんけど、話すべき相手とはちゃんと水面下で話をしているし、相手にボールを投げてもらっているという感覚はありません。

(マクラーレンのように)ホンダは厳しいと思うチームもあれば、(トロロッソのように)ホンダとやっていきたいというチームもあります。あとはそのパズルをどうはめるか、というだけなんです。いろんなパズルのピースがあるので、それをうまくはめるために全力投球しているところです」(山本MS部長)

 それがイタリアGP週末時点での状況だった。2チームと2メーカーの関係が入れ替わり、それに伴ってギアボックス供給元やドライバー人事が動く。同時にカネも動く。政治と技術とカネ、そのパズルのピースについてFIA(国際自動車連盟)とFOM(フォーミュラ・ワン・マネージメント)も調整役に乗り出し、4者の間ですり合わされ、4者が最終的に合意してこの正式発表に至った。

 提携解消の発表に際し、マクラーレン側からはホンダ側に対して共同記者会見の要求があったというが、ホンダはこれを拒否し、FIA公式会見でトロロッソとともに報道陣の前に立った。

「我々は独自の道を行く」

 そんな意思の表れだ。

 1964年に始まった第1期F1活動のきっかけは、エンジン供給の依頼を反故(ほご)にしたロータスに対して、本田宗一郎がそう返信したことにあった。そこからホンダは独自で車体を作り、F1で2勝を挙げた。ブルース・マクラーレンが自チームを興して参戦し、勝利を収める何年も前のことだ。

 一方で、マクラーレンはワークスの立場を捨て、カスタマーへと移行する道を選んだ。もともと成功まで苦難の道のりとなることはわかっていたが、カスタマーでは頂点に立つことはできないからこそ、ホンダとタッグを組んだはずだった。

 しかし彼らはそれを捨てて、ルノーのカスタマーパワーユニットを積む。それはつまり、頂点を目指す挑戦者のレース屋ではなく、ビジネスとしてチームを存続させていく一企業としての道を選んだことに他ならない。ホンダにトロロッソへのパワーユニット供給をオファーし、将来的な本体のワークス化を視野に入れているとされるレッドブルとは、まさに真逆の道を選んだのだ。

 マクラーレンとホンダが双方合意の上で選んだ円満離婚とそれぞれの”独自の道”の先には、どんな未来が待っているのか――。まずは、2018年を楽しみにしたい。