サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回は、日本サッカー界で起きた「本物の奇跡」と、その舞台裏、そして今季限りでの引退を発表した、その立役者…

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回は、日本サッカー界で起きた「本物の奇跡」と、その舞台裏、そして今季限りでの引退を発表した、その立役者について――。

■ただひとり入ってきた「背番号8」

 後半なかば過ぎ、守備に奔走し続けた日本にようやく疲れが見え、ザガロ監督は「勝負どき」と感じたのだろう、切り札のロナウドを投入したのだ。

 だが後半22分、ペナルティーエリア左に進んだベベットのシュートがGK川口の正面をついた直後、小さな事件が起きる。

 ブラジルの黄色と緑を配したシャツを着た長髪の若者がピッチに跳びだし、警備員に追いかけられ、髪をつかんで引き倒され、最後は警官に後ろ手にされ、手錠をはめられたのだ。ベベットが走り寄って警官に「ファンに乱暴はするな」と叫んだが、警官は聞かなかった。この騒ぎで試合は2分間近く中断し、日本はひと息つくことができた。「奇跡のゴール」はこのすぐ後に生まれるのである。

 後半27分、ブラジルの右CKに長身のリバウドが合わせたが、ボールは左に切れる。日本は左に展開し、路木龍次が相手陣浅いところからブラジルのペナルティーエリアにボールを送る。走り込む城に合わせようとしたものだったが、アウダイルの前に出てジャンプしながら上げた城の右足はボールに届かず、ボールはワンバウンドして大きく跳ねる。

 そこにGKジダが飛び出してくる。自陣ゴールに戻りながら城彰二と入れ替わるようにボールに追いついたアウダイルにはジダの姿が見えただろう。しかし、任せようと身を引こうとした瞬間、そのアウダイルの頭にボールが当たってしまったのだ。そこにジダが入ってきて衝突、2人とも倒れた。

 ボールは無人のゴールに転がっていく。城は倒れた2人に前を塞がれ、追うことができない。そこにただひとり入ってきたのが、背番号8、伊東輝悦だった。放っておいてもゴールに転がり込んだかもしれない。しかし、伊東は滑らかにスピードを上げ、右足でボールを押し込んだ。

■「超ラッキーゴール」ではない

 最後のシーンだけ見ると「超ラッキーゴール」のように思えるかもしれない。しかし、アクシデントのようなブラジル守備の混乱を除けば、日本の得点はすばらしいものだった。

 この直前、猛攻をかけたブラジルは、日本に奪われても、ものすごい切り替えの速さですぐに奪い返し、また攻め込んだ。そして、ペナルティーアークの手前でロナウドがボールを受け、松田直樹をかわし、さらに前に立つ田中誠を抜きにかかろうとした。そこに戻ってきたボランチの服部年宏が右足を出してボールを奪い取り、すぐ右にいた伊東に渡したときから攻撃が始まる。

 伊東は時間をかけずに左のスペースに降りてきた城にグラウンダーのパス。城はワンタッチでサポートの前園真聖に落とす。そして前園は追走してきたフラビオ・コンセイソンをいなしてボールをキープ、味方が駆け上がる時間をつくると、左ワイドに開いた路木にパスを出したのだ。

 このとき、自陣ペナルティーアークの10メートルほど前から城へのパスを通した伊東は、足を止めずに前線に上がり、自分の前にいた中田英寿が路木のサポートのために左に寄ったときには、最前線の城と並ぶ位置まで上がっていた。そして伊東を見ていたロナウド・グイアロがボールにつられてアウダイルのほうに走り寄ったときには、完全にフリーになっていたのだ。

■サッカー王国で培った「真骨頂」

 最後のワンプッシュは、伊東でなくてもできた。繰り返し言うが、伊東が触らなくてもゴールに転がり込んだ可能性も高い。しかし、自陣ゴール前で攻撃の起点となり、そのまま70メートルを走り上がってこの場所に現れたことが伊東の真骨頂であり、日本の「サッカー王国」清水で培ってきた「試合勘」だった。

 その後、ブラジルは猛攻をかけるが、松田がロナウドとの1対1に勝ち、全員が体を張って守った。ジュニーニョに対する鈴木のタックルは、現在の判定基準なら「DOGSO(決定的得点機会阻止)」でレッドカードになるシーンだったかもしれない。しかし、アルチュンディア主審はイエローカードを出しただけだった。

 ペナルティーエリア直前からのそのフリーキック。ベベットのシュートは正確にゴール右をついたが、GK川口が完璧なセーブではじき出す。そして西野監督は右ウイングバックの遠藤に代えて白井博幸を、MF中田に代えてDF上村健一を、さらにはFW城彰二に代えて松原良香を投入、焦りの色が濃いブラジルに余裕を与えず、ついに「奇跡」を実現させたのである。

 このときから、実に28年間という長い時間が経過した。その年月が、日本のサッカーがメキシコ・オリンピックからアトランタ・オリンピックまで「世界」から見放され続けていた時間と同じなのは、とても不思議な感覚がする。そして何より、あのとき、70メートル走ってブラジルのゴールにボールを押し込んだ伊東が、その間ずっとJリーグでプロとして戦い続けてきたことに、強い感動を覚える。

 プロになってから32シーズン、伊東は560試合ものJリーグ・リーグ戦に出場してきた。試合に出られないときにも練習グラウンドで全力を出し尽くし、「プロ」として恥じることのない生き方をしてきた。彼はずっと、マイアミのローズボウルで走った70メートルのように、自分自身の感性と判断を信じ、全力で走り続けてきた。11月24日日曜日、ホーム愛鷹広域公園でのJ3第38節松本山雅戦が、彼の「現役選手」として迎える試合になる。

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