蹴球放浪家・後藤健生は、世界の隅々までサッカーを追って放浪する。さらに、ひとつの国に入れば、その隅々までも取材する。セリエA取材で訪れたイタリア、「ドーハの悲劇」で知られるカタールで、端の端まで取材を敢行してきた。■放浪家にとっての「夢の…

 蹴球放浪家・後藤健生は、世界の隅々までサッカーを追って放浪する。さらに、ひとつの国に入れば、その隅々までも取材する。セリエA取材で訪れたイタリア、「ドーハの悲劇」で知られるカタールで、端の端まで取材を敢行してきた。

■放浪家にとっての「夢の目的地」

「放浪家」にとっての夢の目的地の一つが「最〇端」です。地図を見ていると、どこかの国の「最南端」とか「最北端」というのが、いつも気になります。しかも、陸上国境でないとすれば、「最〇端」は岬になっている場合が多いので景色も良さそうです。

 ただし、「最南端」や「最北端」はアクセスが悪いというのも事実です。

 たとえば、日本の「最北端」は北海道稚内市の宗谷岬のさらに北にある弁天島という島ですが、ここは無人島で、宗谷岬付近で漁船をチャーターするしかないそうです。

 いわゆる北方領土を含めると、日本の「最北端」は択捉島のカモイワッカ岬というところだそうですが、ここは現在ロシアが占有していますから、ロシアのビザを取らないと行くことができません(ロシアのビザを取って訪れたら、日本政府に怒られてしまいます)。

 日本「最南端」は東京都小笠原村の沖ノ鳥島、「最東端」も小笠原村の南鳥島、「最西端」は沖縄県与那国島沖合の岩ということで、いずれも上陸すること自体が難しい場所です。

 本土だけに限れば、「最北端」は宗谷岬、「最東端」が北海道根室市の納沙布岬、「最南端」が沖縄県糸満市、「最西端」が沖縄県那覇市なので、いずれもアクセス可能ですが、残念ながら僕はどこにも行ったことがありません(近くでは試合もなさそうですし……)。

■初体験はユーラシア大陸「最西端」

 僕が最初に「最〇端」というところに行ったのは、ポルトガルのロカ岬でした。

 ユーラシア大陸の「最西端」。ポルトガルの首都リスボンから簡単に行ける場所なので、パッケージ・ツアーでも連れていかれることがある有名な観光地です。

 16世紀の詩人ルイス・デ・カモンイスが「ここに地終わり、海始まる」と詠んだ通り、広大な草原を背景に、眼前には雄大な大西洋を見渡す、素晴らしい景色が広がっていました。

 15世紀にはポルトガルの船乗りたちがここから西に、南に乗り出して行き、ヨーロッパ勢力がアフリカ大陸や南北アメリカ大陸に進出していくわけです。

 僕がここを訪れたのは、1982年のスペイン・ワールドカップのときでした。大会途中で試合のない日を利用して(昔のワールドカップは試合のない休息日がけっこうあったものです)ポルトガルを観光。リスボンから観光地であるシントラやカスカイスを経て、ロカ岬に足を伸ばしたというわけです。

■ギリシャ方言を話す「イタリアの街」

 イタリア半島「最南端」を見に行ったこともあります。イタリアの最南端はシチリア島ですが、本土の半島の最南端です。イタリア半島はブーツの形に喩えられますが、それでいうと爪先に当たる場所が最南端です。

 訪れたのはイタリア取材の最中でした。まず、イタリア南東部プーリア州のレッチェを訪れました。ギリシャ人が(つまり、ローマ時代より前に)作った非常に古い町で、今でもギリシャ語方言を話す人たちがいるそうです。ほとんどの建物が黄色っぽい砂岩でできているので、とても美しい街です。

 セリエAのUSレッチェの本拠地で、当時は、スカパー!のセリエA中継の仕事をしていたので、本拠地スタディオ・ヴィア・デル・マーレから中田英寿がいたローマの試合を現地解説したこともあります。

 そのUSレッチェのクラブハウスやユース(プリマヴェーラ)の試合を取材した後、次の目的地はレッジョでした。ここも、ギリシャ人による植民都市です。

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