サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回は、日本サッカー界で起きた「本物の奇跡」と、その舞台裏、そして今季限りでの引退を発表した、その立役者…
サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。サッカージャーナリスト大住良之による、重箱の隅をつつくような「超マニアックコラム」。今回は、日本サッカー界で起きた「本物の奇跡」と、その舞台裏、そして今季限りでの引退を発表した、その立役者について――。
■世界選抜を撃破「ブラジルに油断なし」
「FIFAオールスタ-」は、国際サッカー連盟(FIFA)が公式に招集し、編成したチームだった。14か国からの「寄せ集め」ではあったものの、レアル・マドリードで「王様」の地位を築いていたMFフェルナンド・レドンド(アルゼンチン)や、当時バイエルン・ミュンヘンで活躍していたFWユルゲン・クリンスマン(ドイツ)などを中心に有力な選手を並べ、簡単な相手ではなかった。
ブラジルは後半開始早々にFWサビオのスルーパスが相手に阻止されたのを拾ったベベットが先制点を決め、レドンドの突破からクリンスマンに鮮やかなボレーシュートを決められて同点とされたが、後半32分にベベットのパスを受けて左サイドを突破したロベルト・カルロスが角度のないところから強烈なシュートでゴールを破り、勝負をつけた。シュート数ブラジル22本、FIFA16本、ボール保持ブラジル53%、FIFA47%。堂々たる勝利だった。
「日本戦に向けて、すばらしい準備になったし、自信になった」と、ベベットは語った。若いブラジルはコンディションも良く、日本を見くびっていたわけでもない。ロベルト・カルロスも「マイアミでの日本戦が楽しみ」と語り、大会前から「金メダル」などという浮ついた言葉などひとつも出なかった。
■19歳の怪物ロナウドは「ベンチスタート」
7月21日マイアミ、ロナウドは「ベンチスタート」だったが、ザガロ監督は「FIFAオールスター」で快勝を収めたチームをほぼそっくり日本戦に送り込んできた。4-4-2システムのブラジルは、以下の11人だった。
GK ジダ(ブラジル代表91試合、2002年ワールドカップ優勝GK)
右サイドバック ゼマリア(代表25試合)
左サイドバック ロベルト・カルロス(代表125試合、2002年ワールドカップ優勝)
センターバック アウダイル(オーバーエイジ、代表81試合、1994年ワールドカップ優勝)
センターバック ロナウド・グイアロ
ボランチ フラビオ・コンセイソン(代表45試合)
攻撃的MF アマラウ(代表10試合)
攻撃的MF ジュニーニョ(代表49試合)
攻撃的MF リバウド(オーバーエイジ、代表74試合、2002年ワールドカップ優勝)
FW ベベット(オーバーエイジ、代表75試合、1994年ワールドカップ優勝)
FW サビオ(代表21試合)
※代表回数は引退時までの数字。
西野朗監督率いるU-23日本代表は、3-4-2-1システムだった。といってもフラットな3人DFではなく、スイーパー+ストッパー2人という形だった。18人のメンバーはすべて規定年齢の1973年以降の生まれの者で、「オーバーエージ」は使っていなかった。
GK 川口能活(横浜マリノス)
スイーパー 田中誠(ジュビロ磐田)
ストッパー 松田直樹(横浜マリノス)
ストッパー 鈴木秀人(ジュビロ磐田)
右ウイングバック 遠藤彰弘(横浜マリノス)
左ウイングバック 路木龍次(サンフレッチェ広島)
ボランチ 服部年宏(ジュビロ磐田)
ボランチ 伊東輝悦(清水エスパルス)
シャドー 前園真聖(横浜フリューゲルス)
シャドー 中田英寿(ベルマーレ平塚)
FW 城彰二(ジェフユナイテッド市原)
西野監督の考え方は、強力極まりない相手の前線の4人をしっかりとマンマークすることだった。松田がサビオに、鈴木がベベットに食らいつき、ジュニーニョには服部を、そしてリバウドには伊東をつけたのである。
主審はメキシコのベニト・アルチュンディア。2006年と2010年のワールドカップで合計8試合もの主審を務めた名レフェリーだった。
■圧倒的にボールを支配されるも「大奮闘」
近年言われるように、日本が守りっぱなしであったわけではない。開始3分には路木が左サイドを突破して鋭いクロスを送り、中田のシュートがわずかに右にそれるという場面があった。22分には、中田のロングシュートがブラジル・ゴールを襲い、わずかにバーを超えた。
もちろんブラジルが圧倒的にボールを支配したが、日本もボールを持つと果敢にパスをつないで攻めた。CKも何本かあり、守備陣の奮闘でブラジルに決定的なチャンスはつくらせなかった。
後半、ザガロ監督は動きの良くなかったアマラウに代えてゼエリアス(代表11試合)を投入、日本ゴールへの圧力を高めた。8分には、ドリブルで持ち込んだジュニーニョのシュートが日本ゴールの左ポストを直撃した。ブラジルは後半18分にはサビオに代えてFWにロナウドを投入する。
当時、ロナウドは「ロナウジーニョ」と呼ばれていた。彼が17歳で初めて出場した1994年ワールドカップでは、ロナウド・ロドリゲス・ジ・ジェズスという大型ディフェンダーがいて、通常は「ロナウド」の名でプレーしており、ブラジル代表では「ロナウドン」と呼ばれていた。「大きなロナウド」という意味である。それに対し、17歳のロナウドは「ロナウジーニョ(小さなロナウド)」だった。
このアトランタ・オリンピックでも、DFラインにはロナウド・グイアロという大型のセンターバックがおり、背番号18をつけまだ19歳だったロナウドは相変わらず「ロナウジーニョ」だった。この後すぐに彼はブラジル代表のスターとなり、1998年では世界的な選手となって「ロナウド」の名が定着、2002年ワールドカップでは「新しいロナウジーニョ(ロナウド・ジ・アシス・モレイラ)」が現れた。