11月19日、W杯アジア3次予選で、中国代表と再び激突するサッカー日本代表。前回はホームで7‐0の快勝だったが、今回のアウェイでも「日本の優位は動かない」と断言するのは、サッカージャーナリストの後藤健生だ。その根拠とは? かつてアジア最強…
11月19日、W杯アジア3次予選で、中国代表と再び激突するサッカー日本代表。前回はホームで7‐0の快勝だったが、今回のアウェイでも「日本の優位は動かない」と断言するのは、サッカージャーナリストの後藤健生だ。その根拠とは? かつてアジア最強国の名をほしいままにした中国と、挑戦者・日本の激闘の日々を振り返りながら、 日本サッカーの今後を占う!
■有名選手や名監督を「引き抜き」
21世紀に入ると、経済発展した中国が、その資金力を生かしてサッカー強化に力を入れるようになり、2002年の日韓ワールドカップに初出場。2006年自国開催のアジアカップでは、決勝進出を果たした(決勝では日本に敗れる)。だが、その後、強化計画は失敗し、この数年で中国サッカーはさらに弱体化してしまった。
中国は2024年パリ・オリンピックでアメリカと並ぶ40個の金メダルを獲得したスポーツ大国だ(日本の金メダルは20個)。その中国で、なぜサッカー強化は実現できないのだろうか。
2011年には、サッカー好きで有名だった当時の習近平中国共産党書記の肝煎りで中国サッカーの発展計画も策定された。ワールドカップを開催し、優勝することが長期目標だった。
その後、党総書記・国家主席となった習近平が独裁体制を築き上げていくと、指導者の意向を忖度した地方政府や不動産業を中心とした大企業がサッカーに巨額の資金を投入し、ヨーロッパや南米の有名選手と契約し、世界的な名監督を引き抜いた強化を目指した。また、広大な最新設備を備えたトレーニング施設を建設し、ヨーロッパの育成コーチを多数雇い入れて若手育成にも力を入れた。
しかし、これだけの投資をしたのに、結局、中国サッカーの強化計画は失敗してしまった。
不動産バブルの崩壊によって親会社の経営が破綻したため、クラブ経営も悪化して給料の未払いが生じ、コロナ禍による行動制限に嫌気がさしたこともあって外国人選手たちは次々と中国を離れていった。
かつて中国最強を豪語し、AFCチャンピオンズリーグでいつも日本のクラブの前に立ちはだかっていた広州恒大(現、広州FC)は、親会社である恒大産業の破綻によって財政難に見舞われ、今は2部リーグに陥落してしまっている。
そして、急激に巨額の資金が流入したことによってサッカー界では不正や腐敗が頻発、協会幹部から代表監督までが汚職事件で拘束されることとなった。
■影響力を持つ「選手個人」の判断力
中国サッカー強化失敗の、より根本的な原因は全体主義の弊害だ。
20世紀の後半、当時のソ連や東ドイツはオリンピックで大量のメダルを獲得するスポーツ大国だった。国家が、国家の予算で(違法なドーピング行為も含めて)科学的トレーニングを行って、スポーツ強化を推進した。国の威信を懸けたプロジェクトだった。
だが、それはサッカーの強化にはつながらなかった。
ワールドカップでのソ連の最高順位は、1966年イングランド大会の4位。東ドイツに至ってはワールドカップ予選を突破したことは、たった1度しかなかった(皮肉なことに、それが西ドイツ開催の1974年大会だった)。
サッカーでは、一つひとつのプレーに対して監督が指示を出すことは不可能だ。セットプレー以外では、あらかじめ準備したパターンも使えないし、タイムアウトもない。だから、サッカーでは選手個人の判断力が非常に影響力を持つのだ。
ドリブルを仕掛けるべきか、パスをつなぐべきか、シュートを撃つべきか、ボールをいったん自陣に戻すべきか……。今は攻めどきなのか、あるいは我慢すべき時間帯なのか……。すべてピッチ上にいる選手たちが自分の責任で判断しなければならない。
しかし、全体主義国家では、個人の判断力を高める教育をしない。いや、個人が自分の頭で物事を考えることは禁止されているのだ。
企業や学校では、習近平主席語録の暗記を強制されることはあっても、判断力を高めるための訓練は行われない。だから、全体主義国家ではサッカーは強くならない。
■「眠れる龍」が目を覚ます日は…
20世紀には東ヨーロッパの社会主義諸国でサッカーが強化された例もある。
たとえば、1950年代前半のハンガリーは国際試合で4年間も負けなしで、初めて敗れたのがスイス・ワールドカップ決勝の西ドイツ戦だった。1962年ワールドカップ・チリ大会ではチェコスロバキアは準優勝。1976年の欧州選手権(EURO)で優勝するまで、チェコスロバキアは世界の強豪の一角だった。そして、1970年代から80年代にかけてポーランドもワールドカップで2度、ベスト4入りを果たしている。
ヨーロッパの戦後政治史に詳しい方ならお気づきだろう。
こうした東ヨーロッパの国のサッカーが強くなったのは、いずれも各国の共産党が自由化路線を採用し、その結果、ソ連の軍事介入を招くことになった「自由化の時期」なのだ。
伝統や潜在力が高いだけに、将来、習近平体制が崩壊して自由化が実現したときには、“眠れる龍”と言われる中国サッカーが目を覚ます日が来るかもしれない。だが、それはまだまだ遠い将来のことだろう。