走りきったという達成感、けがなくフィニッシュできた安心感、目標にわずかに届かなかった挫折感……。様々な感情が入り交じった42.195キロだった。17日に茨城県日立市で初開催され、4396人が参加した「ひたちシーサイドマラソン」。筆者も出場…
走りきったという達成感、けがなくフィニッシュできた安心感、目標にわずかに届かなかった挫折感……。様々な感情が入り交じった42.195キロだった。17日に茨城県日立市で初開催され、4396人が参加した「ひたちシーサイドマラソン」。筆者も出場し、完走した。その道のりを振り返る。
午前9時。スタート地点の市民運動公園は雨が降っていた。帽子やウィンドブレーカーを持参していたが、午前中から気温が上がり天気が回復するとの予報を信じ、極力軽装で臨むことにした。
午前10時の号砲とともに、持ちタイムの速いランナーが駆け出す。目標を5時間切りの「サブ5」としていた筆者は、後方からスタートした。
1キロを過ぎたあたりで、後ろから歓声が聞こえた。振り向くまもなく横を軽快に駆けていくランナーが。ゲストのシドニー五輪女子マラソン金メダリスト・高橋尚子さんだ。「笑顔で頑張りましょう」と周囲の人に呼びかけながら、あっという間に姿が見えなくなってしまった。
6キロ手前から、ふだんは走れない海沿いの国道6号日立バイパス(日立シーサイドロード)に入った。このころには快晴になっており、日差しを受けながら白波の上を走る爽快感を満喫した。
先を走り、折り返してきたランナーとすれ違う際には、「ニャー!」と大きな声が聞こえた。リオデジャネイロ五輪男子マラソンのカンボジア代表・猫ひろしさんだった。「3時間」のペースランナーの近くで絶叫しながら疾走している。さすがオリンピアンだ。
給水や給食をとりつつ、1キロ6分前後で快調にペースを刻む。21キロ過ぎの中間点は、手元の時計で2時間13分あまりで通過。体もまだ動いていて、好タイムが狙えるはずだった。
25キロ前後から複数の急なアップダウンが待ち受けていた。必死に腕を振って上りきり、勢いのまま下った時だ。両方の太ももの筋肉がキュッと収縮し、けいれんする。直後に痛みに襲われた。
そこから一気にペースダウン。「無理せずいきましょう」。周りの人と励まし合いながら、走ったり歩いたりを繰り返した。
もう一つの名所と言えるのが、ひたちBRT(バス高速輸送システム)の専用道路だ。一般道にはない2灯式の接近表示機が目を引いたが、30キロを走ってきた体は悲鳴をあげており、楽しむ余裕はなかった。
35キロを過ぎて、ついに「5時間」のペースランナーに抜かれた。「ついていかないと」との思いもむなしく、太ももがつって置いていかれた。
それでも、途切れることのない沿道の声援が力になった。「あとちょっとだ」と激励され、少し走り出しただけで「まだ走れることがすごいよ」との言葉がしみた。
40キロにさしかかったあたりで、先にフィニッシュしていた友人が沿道から並走してくれた。引き離された別の友人との差が「数百メートル」と教わり、1キロ6分を切るペースでラストスパートした。
フィニッシュ地点の直前では高橋さんが待ち受けてくれていた。笑顔でハイタッチを交わし、走り抜けた。5時間8分18秒。1962位だった。
スタート地点を通過した瞬間からの参考記録は、5時間4分11秒。最高気温が9月下旬並みの24度で起伏のあるコースという難条件だった割には頑張ったと思う一方で、「1キロあたり6秒速ければサブ5だった」と考えると、悔しさも残った。
マラソンは9年ぶり3回目だった。初マラソンは学生時代で3時間56分。前回は4時間51分。走るたびに遅くなってはいるが、「9年前の自分」に少しは迫れた気がする。次は「37歳の自分」に勝てるように。また来年、チャレンジしたい。(原田悠自)