2年連続シーズンMVPを獲得したナッシュ photo by Getty ImagesNBAレジェンズ連載25:スティーブ・ナッシュプロバスケットボール最高峰のNBA史に名を刻んだ偉大な選手たち。その輝きは、時を超えても色褪せることはない。世…


2年連続シーズンMVPを獲得したナッシュ

 photo by Getty Images

NBAレジェンズ連載25:スティーブ・ナッシュ

プロバスケットボール最高峰のNBA史に名を刻んだ偉大な選手たち。その輝きは、時を超えても色褪せることはない。世界中の人々の記憶に残るケイジャーたちの軌跡を振り返る。

第25回は、2000年代を代表するポイントガードとして歴史に名を刻んだスティーブ・ナッシュを紹介する。

過去の連載一覧はコチラ〉〉〉

【大豊作の1996年ドラフト組】

 2021年に発表されたNBAの75周年記念チームに選ばれたレジェンドたちのうち、アメリカ国籍以外の選手はギリシャ出身のヤニス・アデトクンボ(ミルウォーキー・バックス)、ドイツ出身のダーク・ノビツキー(元ダラス・マーベリックス)、そしてカナダ出身のスティーブ・ナッシュ(元フェニックス・サンズほか)の3人のみ。

 先のふたりがセブンフッター(213cm以上の選手)のビッグマンであるのに対し、ナッシュは191cm・81kgのポイントガード(PG)ながら、歴代有数の名選手たちとともに豪華なリストに名を連ねたことは、特筆すべきだろう。

 ナッシュは1974年2月7日、南アフリカ共和国のヨハネスブルグで生誕。「イギリスで育ち、初めて口にした言葉が"ゴール"だった。小さい頃はサッカーをたくさんプレーしていた」と言うナッシュは、2歳の頃に家族揃ってカナダへ移住。サッカー好きの父ジョンの下、運動神経が備わっていたナッシュは、セント・マイケルズ・ユニバーシティ・スクール高校2年次にはビクトリア州でトップクラスのサッカー選手として名を馳せるまでになった。

 もっとも、ナッシュは小学生の時にチェスがうまいことで知られ、これまでにプレーしてきたホッケー、野球、ラグビーでも、光る才能を見せてきた。そして13歳で始めたバスケットボールにもすぐさま夢中になり、実力をつけていく。

 その後、アメリカのカリフォルニア州にあるサンタクララ大学へ進学。4年次には平均17.0得点、6.0アシスト、1.3スティールを記録し、NCAAトーナメント1回戦では格上メリーランド大学相手に28得点、12アシストの大活躍でアップセットを果たす立役者となった。

 1996年のドラフトは、全体1位でアレン・アイバーソン(元フィラデルフィア・セブンティシクサーズほか)、13位でコービー・ブライアント(元ロサンゼルス・レイカーズ)がNBA入りする史上最高クラスの豊作年で、ナッシュは15位でフェニックス・サンズから指名を受ける。

 当時のサンズにはケビン・ジョンソン(元サンズほか)、1996-97シーズン途中にトレードで加入したジェイソン・キッド(元マブスほか)らが在籍しPGの層が厚く、1年目は平均3.3得点、2.1アシストに終わる。2年目に平均9.1得点、3.4アシストこそ残すも、1998年6月下旬のトレードでマブスへ移籍した。

【マブスで出場機会を生かし一気に開花】

 ロックアウトのため、通常の82試合から50試合の短縮となった1998-99シーズン。マブスは19勝31敗(勝率38.0%)と低迷するも、ナッシュは先発の座を手にした。さらに、当時ルーキーだったノビツキーと意気投合してワークアウトに励み、213cmの高さと機動力を兼備する男から点を取る術を磨いていき、2000-01シーズンにブレイクする。

 マブスはノビツキー、ナッシュ、マイケル・フィンリー(元マブスほか)の三本柱で攻撃型チームと化し、ウェスタン・カンファレンス5位の53勝29敗(勝率64.6%)の成績を残して11年ぶりのプレーオフ進出を飾ると、2002-03シーズンにはカンファレンス決勝まで勝ち進む強豪チームへ成長した。

 その間、ナッシュとノビツキーは切磋琢磨の甲斐あってオールスター入りするほどの実力者となったのだが、2004年夏にFA(フリーエージェント)となったナッシュが古巣サンズへ帰還したことで魅惑のデュオは解散。両選手は別々の道を歩むことになる。

 ともあれ、この移籍がナッシュのキャリアに、さらなる輝きをもたらすことになる。2003-04シーズン途中にマイク・ダントーニHCが指揮官へ就任したサンズは、ウェスト13位の29勝53敗(勝率35.4%)と低迷したが、アマレ・スタッダマイヤー、ショーン・マリオン(いずれも元サンズほか)といった若手がおり、チームを束ねる"リーダー格"を求めていた。

 そうして翌2004-05シーズン、カナダ出身PGを迎えたサンズは"7秒以内にシュートまで持ち込む"オフェンスで飛躍。アマレやマリオンが持ち前のスピードで圧倒し、シューターたちが外から効果的に射抜くスタイルでリーグ最高の62勝20敗(勝率75.6%)という圧巻の成績をマークした。

 ナッシュは平均15.5得点にリーグトップの11.5アシストを残してMVPに選ばれると、翌2005-06シーズンも得点源のアマレが不在のなかで、同18.8得点、10.5アシストを記録。54勝28敗(勝率65.9%)とチームもディビジョン優勝に導き、2シーズン連続のMVPに選出された。

「スティーブは、ディフェンスを細かく分析していたんだろうね。彼は常に誰がオープンなのか、どこにいるのか、どこでボールを欲しがっているのかを察知していた」

 アマレがそう絶賛するほど、ナッシュのコートビジョンは群を抜いていて、サンズ後期の在籍8シーズンのうち5度もアシスト王に輝いた。その間、サンズはファイナルには届かなかったが、カンファレンス決勝に3度勝ち進むなど、リーグを沸かせたチームのひとつとなった。

 2012年夏、ナッシュはトレードでレイカーズへ移籍。コービーやパウ・ガソル(元レイカーズほか)らと戦うも、ケガに苦しんだこともあり、2015年3月に現役引退。

 NBAキャリア18シーズンで、ナッシュは通算1217試合に出場してキャリア平均14.3得点、3.0リバウンド、8.5アシストをマーク。通算7度の平均2ケタアシストはクリス・ポール(現サンアントニオ・スパーズ)と並んで歴代3位タイで、通算1万335アシストで同5位に入っている。

【サッカーに着想を得たプレースタイル】

 チームメイトたちの得点をお膳立てしてきたパスの数々は奇想天外で、相手守備陣との一瞬の隙を突いたユニークな配球で味方のイージーショットを演出。相手選手との間の取り方や、パスとシュートの線引きも絶妙だった。

 また、ナッシュには正確無比なシュート力も備わっていた。エリートシューターを示す指標として知られるフィールドゴール成功率50%、3ポイント成功率40%、フリースロー成功率90%を超えたシーズンが歴代最多の4度もあった。そんな独特のプレースタイルを構築した要因のひとつは、幼少期からプレーしてきたサッカーだったという。

「確かにまったく異なるスポーツだ。サッカーは足、バスケットでは手がメインだからね。でもスペーシングや味方との連係、動き、パス、ディフェンスといった点ではいくつも類似点がある。サッカーで培ったユニークな視点をバスケットへ持ち込んでいなければ、私はNBA選手になっていなかったかもしれない」

 引退後、ナッシュの背番号13がサンズの永久欠番になり、2018年にバスケットボール殿堂入り。ゴールデンステイト・ウォリアーズの選手育成コンサルタントとして2017、2018年に優勝チームの一員になり、ブルックリン・ネッツで約3シーズン指揮を執った。今夏にはサンズ時代の同僚ゴラン・ドラギッチ(元マイアミ・ヒートほか)の引退試合に招待され、50歳でコートに立った。

 現在、家族との時間を大切にしているナッシュは、子どもたちにバスケットボールを指導しながら、人生も教えている。ただ、この男には豊富な知識と経験が備わっているだけに、バスケットボールの表舞台に舞い戻る日が近いうちに訪れるかもしれない。

【Profile】スティーブ・ナッシュ(Steve Nash)/1974年2月7日生まれ、南アフリカ・ハウテン州出身(カナダ国籍)。1996年NBAドラフト1巡目15位指名
●NBA所属歴:フェニックス・サンズ(1996-97〜97-98)―ダラス・マーベリックス(1998-99〜2003-04)―フェニックス・サンズ(2004-05〜11-12)―ロサンゼルス・レイカーズ(2012-13〜13-14)
●シーズンMVP2回(2005、06)/オールNBAファーストチーム3回(2005〜07)
●主なスタッツリーダー:アシスト王5回(2005〜07、10〜11)/フリースロー成功率王2回(2006、10)

*所属歴以外のシーズン表記は後年(1979-80=1980)