プロレスリング・ノアの「TEAM NOAH」齋藤彰俊が17日に愛知・名古屋市のドルフィンズアリーナ(愛知県体育館)で引退する。引退試合は、丸藤正道との一騎打ちに決まった。スポーツ報知では、波乱万丈だった34年あまりのプロレス人生を「齋藤彰…

 プロレスリング・ノアの「TEAM NOAH」齋藤彰俊が17日に愛知・名古屋市のドルフィンズアリーナ(愛知県体育館)で引退する。引退試合は、丸藤正道との一騎打ちに決まった。スポーツ報知では、波乱万丈だった34年あまりのプロレス人生を「齋藤彰俊ヒストリー」と題し引退試合の17日まで連載。第15回は「運命の同志『潮崎豪』」

(福留 崇広)

 2009年6月14日。三沢光晴が急逝した翌日の博多大会で潮崎豪が力皇猛との王座決定戦を制しGHCヘビー級のベルトを初めて奪取した。3か月後の9月27日、日本武道館で行われた「追悼大会」。超満員1万7000人が押し寄せた“プロレスリング・ノアの聖地”で齋藤は、潮崎のベルトに挑戦した。いつもの黒ではなく純白のコスチュームに身を包みリングインした。

 

 「はじめは自分に挑戦する資格はないだろうと思っていました。だけど、あの広島で対角線にいた潮崎が相手ならやるしかないという覚悟がありました。そして、三沢さんがシオに(これからのプロレスリング・ノアを)託していたことは三沢さんの姿から分かっていました。これは、自分がこんなことを言うのはおこがましいんですけど、もし自分が思っているような潮崎豪じゃなかったら潰すべきだと思ってリングに向かいました。それが自分がやらなきゃいけないことだと思いました。潰されたら、そこから這い上がればいい。這い上がれなければ彼の責任。そうじゃなければ自分が切腹するんで『介錯しろ』とも思いました。その意味で白装束にしました」

 覚悟は、武道館の前にリングで固めていた。9月12日の後楽園ホール大会。森嶋猛との一騎打ちで広島大会以来、封印していた「バックドロップ」を繰り出したのだ。ファンはどよめいた。それは、プロレスラーとして「すべてを受けきる」と「約束」した覚悟の表れだった。そして森嶋を破り、「追悼大会」での挑戦にたどり着いた。三沢さん最後の試合で闘った齋藤と潮崎。互いにすべてを出し切る壮絶な闘いとなった。結果は、三沢さんの必殺技「エメラルドフロウジョン」まで繰り出した潮崎のゴーフラッシャーに齋藤は敗れた。試合後、「三沢社長の跡を継いでプロレス界を引っ張っていってくれ。頼む」と潮崎へメッセージを送った。

 「シオは、GHCを初めて奪取してから3か月。ベルトを取った時、自分は正直『荷が重いだろうな。大変だな』と思ったこともあります。ただ、あの武道館で闘った時に、人間って役職が人を作ると言いますけど、急激な成長を感じました。『やらなきゃいけない』というシオの覚悟を感じました。試合が終わった時に『俺が信じていた潮崎豪だった』と震えました。人間の成長は、月日じゃないんだなとも思いました」

 激しく闘い、共闘もした。2012年10月26日には新潟市体育館で2人は、GHCタッグを奪取した。2か月後の12・9両国国技館大会で丸藤正道、杉浦貴に敗れ、翌13年に潮崎がノアを退団、全日本プロレスへ移籍する。齋藤も潮崎が離脱する1年前の12年からノアを離れフリーとしてリングに上がっていた。当時は、ノアの経営が危機的な状況にあった。しかし、14年に再びノア所属となり、潮崎も16年に方舟マットへ帰還した。

 「自分は戦力外通告を受けての退団でした。シオは、自分とタッグベルトを取った後に全日本へ行きました。理由はいまだに聞いていません。当時は、それなりの思いがあったはずだと思いますし、その理由を聞くのはヤボだと思っています」

 フリーになった齋藤だがノアへの思いは、揺るがなかった。

 「戦力外通告を受けましたが、自分の心はノアでした。他団体から参戦の連絡あった時は、ノアにオファーがあったことを報告して、上がっていました。復帰は丸藤選手から『戻ってほしい』と言っていただいて決めました。わだかまりも何もありませんでした。なぜなら、自分の心は、ずっとプロレスリング・ノアでしたから。それはシオも同じだったと思います。だからこそ、今、『I am NOAH』と胸を張って言い切れるんです」

 紆余(うよ)曲折を経て2016年から2人は、再びノアに帰還した。新型コロナウイルス禍で興行が中止になった2020年。2人は、あの「三沢光晴追悼大会」以来、11年ぶりにGHCをかけて再び闘った。王者・潮崎に齋藤が挑戦。試合は、命日の翌日となる6月14日。無観客大会での配信マッチだった。方舟が荒波に襲われた時、2人は最高峰をかけて闘う。これも運命だろう。そして今年2024年。1月2日の有明アリーナ大会。潮崎が「TEAM NOAH」を結成し齋藤は加入を決断する。「ノアの闘いを取り戻す」との潮崎の思いに共鳴したからこその共闘だった。

 「プロレスリング・ノアという団体なのに、その中に『TEAM NOAH』って何なのか?不思議ですよね。しかもメンバー全員が旗揚げからいるメンバーじゃない。実際、結成した当初は、ファンのみなさんの反応も『何がやりたいの?』という感じで良くありませんでした。それが自分の中で火が付きました。ノアをダブって使っているユニットが何をやるのか?やりたいのか?を見てもらいたいと燃えました」

 そして続けた。

 「自分はノアとは何か?を伝えたい。もちろん、プロレスリング・ノアは、ずっと進化しているので昔に戻る必要はありません。ただ、本質的なところで三沢さんが貫いた闘いが、心のどこかにないといけないと思います。三沢さんが理想とする闘いがノアです。三沢さんは、ノアの方舟のように自分が目指す『理想のプロレス』という遺伝子を残そうと思い、『プロレスリング・ノア』と命名しました。三沢さんの闘いは、人間の器の大きさを見せるプロレス。それが、あのすさまじい受けに象徴されています。その思いが『TEAM NOAH』です」。

 ユニット結成から「LIMIT BREAK」と題した自主興行も開催している。

 「リミットブレイクは、会場の雰囲気が違います。どこか昔のノアの会場と同じ香りがするんです。それは、ファンのみなさんに『TEAM NOAH』が醸し出すものが伝わっているのかなとも思います」

 その確信を齋藤は、今年7月13日、日本武道館で抱いた。対戦相手は、運命の潮崎豪だった。

(続く。敬称略)