“日本プロレス界の父”力道山(享年39)が14日、生誕100年を迎えた。 力道山は、1924年11月14日、日本統治下の朝鮮で生まれた。1940年に大相撲の二所ノ関部屋に入門。関脇まで昇進したが50年に大相撲を引退しプロレスラーに転向。、…

 “日本プロレス界の父”力道山(享年39)が14日、生誕100年を迎えた。

 力道山は、1924年11月14日、日本統治下の朝鮮で生まれた。1940年に大相撲の二所ノ関部屋に入門。関脇まで昇進したが50年に大相撲を引退しプロレスラーに転向。、52年に日本プロレス協会を設立。日本初の本格的プロレス興行となった54年2月19日に蔵前国技館で木村政彦とタッグを組んでシャープ兄弟と対戦し、前年にスタートしたテレビ放送と共に戦後復興の象徴となり国民的ヒーローとなった。ジャイアント馬場さん、アントニオ猪木さんら昭和プロレスの隆盛を支えた多くの弟子も育てたが、63年12月8日に赤坂のナイトクラブで暴力団員の男に刺され、1週間後の12月15日に都内の病院で39歳の若さで亡くなった。

 生誕100年を記念してこの日、墓所のある東京・大田区の池上本門寺で「生誕100年 感謝の集い」が開かれ、次男の百田光雄、孫でプロレスラーの力、小橋建太らが出席した。読経を終えた後に百田は「どうにか生誕100年を迎えられたことは息子の僕としてもありがたいと思いますし、父も100年たってもこれだけの方に見守られていることはありがたいことだと思うので、ありがとうございました」とあいさつした。

 そして、自身の体調から父にまつわるこうした記念の会は「僕の体があまり先がないようなので、できれば父の大きい催しとしては最後になるかと思います。もちろん、父を慕ってお参りしていただくことはありがたいと思うんですが、今回みたいな形でやることはないと思います」と明かした。

 百田は、2021年2月に肺がんに冒され、2か月半入院。翌22年に同じ肺がんを再発。現在も治療している。さらに、昨年春には誤嚥(ごえん)性肺炎を2度、発症し入院。今年に入り新型コロナウイルスに感染し入院。その後、心臓疾患でも1か月ほど入院した。

 百田は体調について「がんは大きくなってないんで、何とか押さえ込んでいたんですが、今年の春にコロナにもなって1か月ぐらい入院したんですけど、そのコロナのせいで心臓まで負担が来て心臓の稼働率が24パーセントって言われたんですが、それも数値が回復しているんで」と明かし、現在、39パーセントまで戻ったという。

 心臓疾患での入院で体重が「1か月で15キロぐらい落ちたんで」と明かしたが「練習をその後やろうと思っても、なかなか筋力が回復できない。だけど、できればもう1回だけリングに戻ってみたいなという気持ちはあったんで、この後、できるかできないかは別ですが、練習して頑張りたいなと思います」と復帰を掲げていた。