蹴球放浪家・後藤健生は、サッカー取材で国内外を広く旅してきた。とはいえ、未踏の地もまだ残っている。そのひとつが、「近江の国」だ。第60回全国社会人サッカー選手権「全社」を取材しながら、琵琶湖のほとりで得た「新たな発見」とは…。■琵琶湖疎水…

 蹴球放浪家・後藤健生は、サッカー取材で国内外を広く旅してきた。とはいえ、未踏の地もまだ残っている。そのひとつが、「近江の国」だ。第60回全国社会人サッカー選手権「全社」を取材しながら、琵琶湖のほとりで得た「新たな発見」とは…。

■琵琶湖疎水の「水路」を辿って三井寺へ

 皇子山陸上競技場は1964年に完成した古くからの競技場ですが、僕はまだ行ったことがありませんでした。競技場は大津市役所の目の前という便利な場所にありますから、浜大津駅からも徒歩圏内のようです。

 大津港を出た僕は、まず琵琶湖疎水を見学しました。1890年に完成した人口の水路で、トンネルや閘門などを通って京都市まで通じています。琵琶湖の水は京都市の上水のため、あるいは水力発電のために使われ、さらに疎水は水運にも利用されました(今でも、観光船が運行されています)。

 浜大津駅からすぐ北側で、その疎水の取り入れ口を見ることができます。そして、そこから水路沿いに辿っていくと水路はトンネルの中に消えていきます。最初のトンネルは三井寺(園城寺)の境内の下を通っているのです。

 そこで、次は三井寺の観光です。天台宗寺門派の総本山。梵鐘で有名な古刹です。

 三井寺の観音堂からは琵琶湖方面が望めるのですが、木が茂っていて湖はよく見えませんでしたが、すぐ左手には皇子山陸上競技場が見えました。

 競技場のメインスタンド裏には京阪石山坂本線が走っていて、「大津市役所前」駅から電車で市内に向かえます。

■近江鉄道で「懐かしの車両」に遭遇

 その日の宿は大津市東部の瀬田川に面した(というか、瀬田川の川中島にある)ホテルだったので、試合後は石山坂本線で「唐橋前」を目指しました。

 琵琶湖から流れ出る瀬田川(下流は宇治川、淀川となり、大阪市内を流れて大阪湾に注ぐ)。

 その瀬田川にかかっているのが有名な「瀬田唐橋」です。

 日本の東西を結ぶ戦略上の要衝で戦国時代には端を巡っての争奪戦が起こっていました。現在も、ここは交通の要衝で、唐橋の南北わずか1キロほどの間に北からJR東海道線(琵琶湖線)、国道1号線、東海道新幹線、名神高速道路の各鉄橋が並んでいます。

 ホテルのリバービューの部屋からは瀬田川の唐橋の風景を堪能。翌日は、準決勝会場である東近江市総合運動公園布引陸上競技場に向かいます。

 東海道線の近江八幡駅から近江鉄道に乗って、「大学前」という駅から徒歩というルートです。

 滋賀県東部を走る近江鉄道にも初めての乗車です。

 近江鉄道は西武グループの鉄道会社です。西武鉄道を中心とする西武グループの創業者である故・堤康次郎氏が滋賀県愛知郡出身だからだそうです。

 ですから、現在、近江鉄道の車両のほとんどはかつて西武鉄道を走っていたもの。実は、僕は東京都の西武新宿線沿線に住んでいるので、お馴染みの車体ばかりというわけです。もちろん、塗装は違いますが、それが元西武鉄道の車両だということはすぐに分かります。

■締めは「大人のたしなみ」2連戦

 そんな、懐かしい車両に乗って準決勝観戦へ。「大学前」駅を通る水口・蒲生野線は1時間に1本程度のローカル線ですが、楽しい鉄道旅になりました。帰りは、万葉あかね線への乗り換え時間を利用して、八日市の街をちょっと歩いてから近江八幡へ。

 近江八幡着が16時半頃。大急ぎで駅前からバスに乗って旧市街へ向かい、有名な八幡堀に到着したのはもう夕暮れ時。辺りの商店や飲食店はほとんど閉店してしまっていましたが、夕暮れのライトアップが始まった八幡堀は、観光客もまばらでとても風情のあるものでした。

 1軒だけオープンしていたのがビアハウス。「二兎醸造」という近江八幡市にあるクラフトビール醸造所直営の「Two Rabbits」という店でした。そこで、エールを1杯飲んで18時の閉店まで粘った僕は、再び近江八幡駅に戻り、駅前の居酒屋で琵琶湖特産ホンモロコのから揚げを肴に近江の地酒を堪能。そこから京都駅に向かって、東京行きの深夜高速バスに乗車したのです。

 準々決勝と準決勝を2試合ずつ観戦して、近江の国観光も堪能した、非常に効率の良い旅だったというわけです。

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