10月19日、J1サガン鳥栖は敵地に乗り込み、京都サンガに2-0で敗れている。4試合を残し、J2降格が決定。13年間も在籍したJ1からの"陥落"という現実を突きつけられている。 なぜ鳥栖がJ2に降格することになったのか…

 10月19日、J1サガン鳥栖は敵地に乗り込み、京都サンガに2-0で敗れている。4試合を残し、J2降格が決定。13年間も在籍したJ1からの"陥落"という現実を突きつけられている。

 なぜ鳥栖がJ2に降格することになったのか?



J2降格が決まり下を向くサガン鳥栖の選手たちphoto by J.LEAGUE/J.LEAGUE via Getty Image

 筆者は図らずも、鳥栖の選手との交流が多い。J2で日本人得点王になった新居辰基のルポに始まり、J2昇格、J1進撃に貢献した"揺るぎないエース"豊田陽平(ツエーゲン金沢)の戦いを最も近くで描き続け(集英社『アンチ・ドロップアウト』シリーズ)、水沼宏太(横浜F・マリノス)もそのひとりとして描いた(集英社『グロリアスデイズ』)。取材以外に何時間もサッカー談義を続ける選手が、今も数多く在籍している。

 当然、内部の関係者との交流も深くなった。外に出せない事実も知りすぎている。抜け落ちているピースが、そこにはあって......。

「光と影」

 書き手として誰よりも、それを目の当たりにしており、まとまりがつかない。

 J2から昇格して台頭著しかった当時のチームには、"戦い抜く"という一種の清々しさがあったのは事実だろう。サポーターも穏やかに見守る気質があって、スタジアム全体に温かさが漂っていた。殺伐とした気配がなかったことで、特にストレスが大きいストライカーたちを啓発するところがあった。厳しさよりも寛容さが、一体感を生み出していた。

「なぜ?」という問いに対しては、単純かつ複雑な要素が絡み合い、短いコラムで答えを出すのは難しい。しかし、今シーズンという短いスパンで、「降格しなかった可能性」については語ることはできる。

〈川井健太監督との決別〉

 今年8月の決断が、今シーズンの分岐点だったことは間違いない。

 川井監督体制では、25試合で7勝16敗2分けだった。鹿島アントラーズに敗れて16位に転落。その後、新たに就任した木谷公亮監督の体制では9試合で6敗3分けと一度も勝てず(勝ち上がっていた天皇杯、ラウンド16も敗退)、最下位だ。

 数字はしばしば嘘をつくのは確かだが、この監督交代は論理性を欠いていた。

【選手は監督で鳥栖を選んでいた】

 なぜなら、3年目の指揮となった川井監督は、誰もが納得する成績を出していたわけではないものの、選手を成長、覚醒させる手腕は瞠目に値した。今シーズンだけでも、長沼洋一(浦和レッズ)、手塚康平(柏レイソル)、河原創(川崎フロンターレ)、菊地泰智(名古屋グランパス)、横山歩夢(バーミンガム)......これだけの選手たちを有力クラブに送り出している。

 J1で1、2番手に低い資金力でそろえた選手が、川井監督が作り上げた仕組みのなかで、見違えるプレーをするようになった。いずれも伸び悩み、トップレベルで出場機会を満足に得られなかった選手ばかりだ(現在12得点のマルセロ・ヒアンは、横浜FC時代は3得点がやっとだった。川井マジックの恩恵を受けた選手で、新体制後はわずか1得点にとどまる)。

 恩恵を受けた選手たちが、「川井監督がいる限りは......」と在籍を続けていたが、チーム内はすでにキナ臭く、川井監督の解任、もしくは辞任を促すムードは、開幕連敗以来、ずっと立ち込めていた。今年4月、小林祐三ダイレクターが早々にクビを切られ、選手は決断を迫られていたはずだ。

「勝利を重ねるか、選手を成長させるか」

 それが世界標準の監督の評価であり、その点、川井監督を手放すことなど考えられなかった。

 たとえば、世界的な好評価を受けるスペイン人指導者、フアン・マヌエル・リージョだが、20代の史上最年少でサマランカを1部に昇格させた実績はあるが、それ以降は「常勝」には程遠い。しかし、彼を尊敬する関係者、指導者、選手は多く、引く手あまたである。現在はマンチェスター・シティでジョゼップ・グアルディオラの"三顧の礼"により参謀(ヘッドコーチ)を引き受け、辣腕を振るう。

 有力な選手が、「川井監督がいるなら」と鳥栖を選んでいたことは一縷の希望だった。川井監督のコンセプトは、誰が何を言おうと、魅力的だったのである。セレッソ大阪の元日本代表MF清武弘嗣も、川井監督のサッカーにひかれて入団したはずだ。

 それでも川井監督を解任し、「残留のみを目指す」と決めたのなら、その実績のある監督を登用すべきだった。「地元で愛されるOB」という看板は、真剣勝負の場では役に立たない。危急存亡の秋、完全に戦略を、論理を欠いていた。

 京都戦後、敗れた鳥栖の選手たちの表情は、淡々としたものにも映った。それは必然だったかもしれない。1シーズン、ダイレクターや監督が更迭され、主力選手が多く入れ替わり、何の論理的解決策も示されず、船体に穴が開いていくなか、沈みゆく航海を続け、憔悴しきっていたはずだ。

 これは仮説でしかないが、牧歌的で愛すべき存在だった鳥栖は、いつしか自分たちの戦い方を"呪い"に変えてしまったのかもしれない。

〈一丸となって戦う。汗をかいて、涙を流す〉

 そんな懸命さだけでは、今のJ1は長いシーズンを戦えない。それでも、"あの頃はよかった"という懐古主義に心を奪われてしまう。そして川井監督の「論理」に物足りなさを、あるいは怒りを感じてしまったのではないか。

 かつて、ユン・ジョンファン監督は鳥栖で一時代を築いた。その指導力に疑いの余地はない。しかし、あの成果を出せたのは結局、豊田という非凡なストライカーがいた(クロッサーに水沼もいた)のに加えて、彼のキャラクターが牧歌的だった鳥栖の風土と合ったからだろう(ちなみにセレッソ大阪では杉本健勇がキャリアハイの時、やはり水沼がアシスト役だった)。強度と粘り強さを軸にしたサッカーだけでは、ジェフ千葉時代(2020-22年)、J2でJ1昇格圏内にも入れなかったのが現実だ。

 また、川井監督の前任だった金明輝監督も、「戦う」という原理に突っ走った挙句、暴言、暴力が問題視された。士気の高さ、という強度だけで立ち向かうのは限界があった。

「戦う気持ちが見えない」

 そんな言葉を見聞きするたび、違和感を覚える。「戦う気持ち」の正体は何か。清々しかった戦いを呪いに変えてはならない。