■投手陣も3番手から4年生が継投「ボールは僕が渡してもいいですか?」 明大は20日、東京六大学野球秋季リーグの早大2回戦に延長12回の熱闘の末3-3で引き分け、1敗1分とした。試合中盤に3点ビハインドを負う崖っぷちから盛り返した原動力は、最…

■投手陣も3番手から4年生が継投「ボールは僕が渡してもいいですか?」

 明大は20日、東京六大学野球秋季リーグの早大2回戦に延長12回の熱闘の末3-3で引き分け、1敗1分とした。試合中盤に3点ビハインドを負う崖っぷちから盛り返した原動力は、最上級生である4年生のパワーだった。

 6回終了時点で、スコアは0-3。この試合に敗れれば、単独首位の早大に対して勝ち点を落とし、3季ぶりの天皇杯が一気に遠のく。そのピンチに攻撃陣が奮い立った。

 先頭の木本圭一内野手(3年)が左翼席へソロアーチをかけ反撃ののろしを上げると、2死から代打・吉田匠吾内野手(3年)が中前打で出塁。さらに直井宏路外野手(4年)が四球でつなぎ、続く飯森太慈外野手(4年)が左前適時打を放ち、1点差に迫った。なおも2死一、三塁で主将の宗山塁内野手(4年)に打順が回った。

明治4番手ドラフト候補の浅利【写真:加治屋友輝】

今月24日に迫ったプロ野球ドラフト会議の“目玉”でもある宗山はこの日、3打席凡退していたが、「4年生がつないだバトンが渡ってきたところだったので、自分が置かれている立場として、必ず1点を取らなきゃいけない場面だと思いました」と意を決し、打席に立った。

 早大3番手の左腕・香西一希投手(2年)がカウント1-0から投じた118キロのカーブをとらえ一、二塁間を破る同点の右前適時打。「最後は気持ちで、なんとか1本出せました」と笑顔が弾けた。普段クールな宗山にしては珍しく、一塁ベース上で味方の一塁側ベンチへ向かって右拳を高々と突き上げた。

「実は(今月12日の)立大1回戦に負けた後、何かを変えなければいけないという副将の中山(琉唯捕手=4年)の思いもあって、『チームを盛り上げてほしい』という話がありました」と明かした。慣れないガッツポーズを振り返り、「『もっと派手に』とも言われるのですが、自分なりにみんなを盛り上げられたらと思います」と大いに照れた。

 田中武宏監督も「嫌な展開でしたが、4年生がよくつないでくれました」と称える。打線をつないだのが4年生なら、試合の中盤以降を無失点でつないだ投手陣も4年生だった。

 同点に追いついた直後の8回から4番手としてマウンドに上がったのは、浅利太門投手(4年)。好不調の波が比較的大きいタイプだが、この日は最速152キロを計測したストレートがうなりを上げ、3回2/3を3安打6奪三振無失点に封じた。

満塁のピンチを凌いだ明治5番手山田【写真:加治屋友輝】

 田中監督は「素晴らしい真っすぐでした。回転数が多いので、相手打者はスピードガン表示以上に速く感じると思います」と指摘。投球中にスタンドの照明がつけられたため、「照明塔がつくまでは、たぶん見えないだろう、できればつけないでほしいと思いました」と笑わせた。

 延長11回の途中には、浅利から5番手の右腕・山田翔太投手(4年)へスイッチ。ブルペンには、松本直投手(2年)や菱川一輝投手(3年)も控えていたが、田中監督は「捕手の小島(大河=3年)が『4年生で』と言うので」と説明した。

 交代の際、マウンドへ足を運んだ田中監督が浅利からボールを受け取ろうとすると、「僕が渡してもいいですか?」と拒まれ、4年生同士の直接の受け渡しが行われた。最後にバトンを受け取った格好の山田は、12回終了まで失点せずに投げ切った。

 試合時間は延長12回で4時間35分。連盟史上最長試合は、1967年春の慶大-法大3回戦の4時間48分だが、延長15回だった。現在の東京六大学リーグには、1試合開催日は最長で延長15回まで行うが、この日のような2試合開催日は12回で打ち切る規定がある。もし、この試合が15回まで行われていれば、最長試合記録を更新していた可能性が高い。歴史的なロングゲームを明大が耐え忍び、土俵際で踏ん張って見せた。