高校生最速となる155キロを計測…鷹・寺原隼人コーチが語る青春 ソフトバンクの2軍は5日、ひなたサンマリンスタジアム宮崎で行われたファーム選手権に臨み、DeNAを相手に2-6で敗戦した。惜しくも日本一には届かなかったが、思い出…

高校生最速となる155キロを計測…鷹・寺原隼人コーチが語る青春

 ソフトバンクの2軍は5日、ひなたサンマリンスタジアム宮崎で行われたファーム選手権に臨み、DeNAを相手に2-6で敗戦した。惜しくも日本一には届かなかったが、思い出がある球場に「記憶がない」というほど久々に帰ってきたのが、寺原隼人2軍投手コーチだった。“平成の怪物”と呼ばれた松坂大輔氏の背中を追いかけたような高校時代を振り返った。

 日南学園高時代には、当時の高校生最速となる155キロを記録した。4球団が競合して当時のダイエーに入団。超高校級としてプロ入りを果たすまで、最大のモチベーションが松坂氏の存在だった。寺原コーチが中学3年の時、松坂氏は横浜高の3年で春夏連覇を達成。偉大な右腕に憧れるのは、自然な流れだった。

「自分がいかに松坂さんの記録を抜くか。それしか考えていなかったです」。1球1球を投げる度に「振り向いて、スピードガンを気にしていましたね」と、試合中に何度も確認していたそうだ。強かった憧れの気持ち。「僕が中学3年生の時に、3つ上の松坂さんを見て『なんだこりゃ』って思った。高校に入って球速が上がって自分が“抜けるかもしれない”という実力がついてきた時に、初めて松坂さんの記録を抜きたいと思うようになりました」と、現実的な目標へと変わっていった。

思い出の球場「ノーヒットノーランもしたし、ホームランも打ちました」

 高校3年、最後の夏。寺原コーチは目標に近づくため、甲子園出場のために躍動する。「僕はこの球場でノーヒットノーランもしましたし、バックスクリーンにホームランも打ちました。“二刀流”でした」と笑って振り返る。宮崎日大に勝利して、ついに聖地への切符を手にした。決勝戦が行われたのも、ひなたサンマリンスタジアム宮崎だった。「当時は3年生でしたけど、その時にスカウトの方も見にきてくれていた。それは今でも覚えています」と懐かしそうに話した。

「最後の夏、ここで試合をしました。それまで甲子園に1回も行ったことがなかったので、最後の最後は必死でしたよ。その夢を叶えた球場が、ここです。高校生活では野球しかしていなかったし、友達って感じではなかったです。自分だけしか見ていなかったです。自分がいかに上に行くか、しか考えていなかったですし、チームメートと分かち合ったというよりは、いかに松坂さんの記録を抜くか、でした。スピードしか抜けないから、その目標だけで甲子園を目指していた感じです」

 現役時代には2度のトレードに戦力外通告など、4球団を渡り歩いて通算73勝を挙げた。2015年からはソフトバンクで、米大リーグから復帰した松坂氏とチームメートになった。「ホークスに来られたじゃないですか。僕、超感動しましたもん(笑)。すぐに『写真撮ってください』って言いました」。指導者になった今も思い出してしまうほど、寺原コーチにとって松坂氏は偉大な存在だ。(竹村岳 / Gaku Takemura)