サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。重箱の隅をつつくような、「超マニアックコラム」。今回は、U-23アジアカップで日本と優勝を争った、成長著しいサッカー新興国と日本の知られざる「因縁」――。 ■記者仲間と「試合後」に再訪  …

 サッカーは無数のディテール(詳細)であふれている。重箱の隅をつつくような、「超マニアックコラム」。今回は、U-23アジアカップで日本と優勝を争った、成長著しいサッカー新興国と日本の知られざる「因縁」――。

■記者仲間と「試合後」に再訪

 タシケントには、2009年にも訪れる機会があった。だが、このときは滞在時間が短く、ワールドカップ予選の試合を取材しただけで終わった。だが、その2年後の2011年に訪れたときには、最初のときと同様、試合の翌日に時間があり、何人かの記者仲間を誘って日本人墓地を再訪することができた。
 この頃には、ガイドブック『地球の歩き方』にもタシケントの日本人墓地の案内が載っており、タクシーに乗って行き先の住所を見せるだけで簡単にいくことができた。14年前の記憶をもとに墓地内をずんずんと歩いていくと、やがて日本人墓地が以前と変わらない整然とした姿で現れた。真新しい花束もあり、日本から墓参にくる人が絶えないことを知った。
 帰ろうとしたとき、ひとりの作業員のような男性が歩いてきた。さっぱりとしたシャツにジーパン姿。頭には、ウズベク人特有の帽子をかぶっている。私は人の顔を覚えるのが非常に苦手なのだが、このときは、14年前に10分間ほど話しただけの人の顔がぱっと浮かんだ。
 「ミロキルさんだ!」
 だが近づいてくると、どうも私の脳裏にあるミロキル・ジャリロフさんと結びつかない。彼は毎日の炎天下の仕事のせいかしわだらけの顔をしていたのだが、目の前の男性は、とてもそんなに年には見えない。顔のつやから見て、せいぜい30歳代だろう。そして覚った。

■「お父さんはお元気ですか」

 「ルスタン・ジャリロフさんですか」
 彼はうれしそうな顔をして笑った。あのとき13歳だと言っていたから、27歳になっているはずだ。ミロキルさんが話したとおり、ルスタン・ジャリロフさんは父の仕事を継いで市民共同墓地の管理人となり、毎日、日本人墓地を清掃し、守ってくれていたのだ。
 「お父さんはお元気ですか」
 「父は元気ですが、今日は別のところに行っています」
 タシケントは「タシュケント」と表記されることもあるが、ウズベキスタン共和国の首都であり、この国の全人口3570万人の約6%に当たる220万人が暮らす大都市である。中央アジアのオアシス国家として古代から交易で栄え、中国では「石国」と呼ばれた。「タシケント」とは、トルコ系の言語で「石の街」を意味するという。
 サッカーの取材は、ときに思いがけない人びととの出会いをもたらしてくれる。しかし、父がいわば「奴隷」のような目にあっていた中央アジアの街で、帰国の願いかなわず倒れた人びと、父の仲間たちの霊を、親子三代にもわたって慰め、守り続けてくれている人びとがいることを知ったのは、特別な経験だった。
 最後にタシケントを訪れてから、もう13年も経ってしまった。ミロキルさんはご健在だろうか。ルスタンさんは40歳を過ぎたはずだ。ワールドカップ初出場の夢に沸く街の喧騒を離れ、今日も静かな墓地で黙々と働いているだろう。そして私がミロキルさんと会ったときのように、顔には深いしわが刻まれているに違いない。

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