<日本ハム-楽天>◇25日◇エスコンフィールド日本ハム鍵谷陽平投手(34)が、1軍公式戦で初めて立ったエスコンフィールドのマウンドで、プロ野球人生に幕を下ろした。楽天小郷を二ゴロ、小深田を遊直に抑え、2/3回無失点で通算420試合目の登板を…

<日本ハム-楽天>◇25日◇エスコンフィールド

日本ハム鍵谷陽平投手(34)が、1軍公式戦で初めて立ったエスコンフィールドのマウンドで、プロ野球人生に幕を下ろした。楽天小郷を二ゴロ、小深田を遊直に抑え、2/3回無失点で通算420試合目の登板を終えた。投手交代時は新庄剛志監督(52)が花束を持ってマウンドまで足を運び、抱擁。道産子右腕の有終に、本拠地スタンドは大きな拍手に包まれた。

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涙はこらえた。何度も笑顔を見せ、鍵谷は最後の登板を楽しんだ。小郷をフォークで二ゴロに仕留めると、小深田は147キロの直球で詰まらせた。「抑えることができたことが一番。エスコンフィールドのマウンドは、とても気持ちよかったです」。2死を取ったところで、花束を持った新庄監督がマウンドへ。鍵谷は指揮官と抱き合い、チームメートと握手した。「野球人生を最高の形で終えることができました」。晴れやかな表情で、本拠地ファンに頭を下げた。

6年ぶりのCS進出が目前に迫っている中での引退登板となった。それも1年目の2試合しか経験のない先発。「正直に言うと戸惑いの方が大きかった」という本音は、気遣いの男・鍵谷らしい。だが、日本ハム、巨人で、どんな展開でも腕を振ってチームを支えてきたセットアッパーは「僕のプロ野球生活12年間、行けと言われたところで行くのが仕事でしたので」。最速147キロの直球に、フォーク、スライダー。全力で投げた9球に、感謝を込めた。

昨オフ巨人で戦力外通告を受けた。育成契約で古巣で再出発した今季は「どう自分の最後を過ごすかっていうのを常に考えながらの1年だった。(引退の決断は)いつっていうよりも、もう毎日考えたっていう感じです」。日々、覚悟を伝えてきた家族からは「お疲れさま」とねぎらわれた。

「1回組みたかった」という同い年・伏見との道産子バッテリーは実現しなかったが、「もう本当に夢のような時間でした。僕みたいな野球選手が七飯町から出てきて、まさかファイターズ、地元の球団に取っていただけるとも思っていなかった。これだけ試合に投げられるとも思っていなかったので、本当にたくさんの指導者の方に恵まれ、仲間に恵まれ、ここまで来られたと思う」。1年目には本拠地移転後初の道産子勝利投手となった、球団にとっても特別な存在。秋の気配が濃くなってきた北海道に、温かな拍手が降り注いだ。【本間翼】

◆鍵谷陽平(かぎや・ようへい)1990年(平2)9月23日、北海道七飯町生まれ。北海では2年秋からエースで、3年夏に甲子園出場。中大を経て12年ドラフト3位で日本ハム入団。19年途中に吉川光夫、宇佐見真吾との2対2トレードで藤岡貴裕とともに巨人移籍。23年オフに自由契約となり、日本ハムに育成契約で復帰。今年7月に支配下登録。178センチ、86キロ。右投げ右打ち。