東京五輪金メダリスト宇山賢が語るフェンシングの「交代選手」と今後 後編(前編>>) パリ五輪で合計5つのメダルを獲得したフェンシングの日本チームは、個人種目で男子エペの加納虹輝が日本人初の金メダルを獲得。団体戦でも女子フルーレと女子サーブル…

東京五輪金メダリスト

宇山賢が語るフェンシングの「交代選手」と今後 後編

(前編>>)

 パリ五輪で合計5つのメダルを獲得したフェンシングの日本チームは、個人種目で男子エペの加納虹輝が日本人初の金メダルを獲得。団体戦でも女子フルーレと女子サーブルで初のメダル(ともに銅)を手にするなどメダルラッシュに沸いた。

 3年前に行なわれた東京五輪・男子エペ団体に交代選手として出場し、日本初の金メダル獲得に貢献した宇山賢氏に、パリ五輪における日本チームの戦いぶりや、自身が交代選手として戦った経験を交えながら今大会で活躍した交代選手とのエピソードなどについて語ってもらった。


パリ五輪で金メダルを獲得した日本男子フルーレ団体。交代選手の永野雄大(左から1番目)も大量リードを奪った

 photo by 長田洋平/アフロスポーツ

【パリ五輪の交代選手とのやりとり】

――パリ五輪の団体戦では、選手交代が流れを掴んでメダルを手繰り寄せる場面が見られました。まず女子フルーレ団体では、カナダとの3位決定戦に交代出場した菊池小巻選手がポイントを連取して33-32で勝利。日本女子としては初のメダル獲得に貢献しました。

「五輪でラクな試合はひとつもありませんし、いつもどおりのことができない目の前の状況をどのように乗り越えていくのか。交代出場する選手にはそのための準備が求められます。

 菊池選手の場合は、接戦が続く3位決定戦の4試合目という、本来ならば試合に入るのが難しい状況で出番が訪れましたが、それでも自分に求められた役割を忠実に果たし、ポイントを量産できた。自分が置かれた状況を見極めながら、しっかりとチームに流れを引き寄せたところは見事だったと思います。

 実は、女子フルーレチームが銅メダルを獲得したあと、僕から菊池選手に祝福のメッセージを送ったんですが、『東京五輪の宇山さんの活躍をイメージして準備しました』と返信をくれました。社交辞令だったかもしれませんが(笑)、そのように言ってもらえたことがしてもうれしかったです」

――得点を量産するという点では、男子フルーレ団体決勝の第8試合に登場し、5-0でリードを広げた永野雄大選手の活躍も見事でした。

「対戦相手のアレッシオ・フォコニ選手も交代選手で、対戦相手のアレッシオ・フォコニ選手も交代選手でしたが、34歳のベテラン選手とは思えないほど試合に入れていない印象がありましたし、両選手の準備の差を感じる結果となりました」

――永野選手は前回の東京大会にも交代選手として出場し、チームは4位の成績でした。宇山さんも前回大会では同じ交代選手でしたが、何かやりとりがありましたか?

「(東京五輪では)本来ならばスーツケースに入れて選手たちに配布されるはずの支給品が、僕ら交代選手だけは段ボールに煩雑に入れられて渡されたことがあって。永野選手と一緒に『僕らの処遇はこんなものなんだ......』と嘆いたことを覚えています。

 僕らが金メダルを獲得したあと、翌日に団体戦を控えていた男子フルーレのメンバーに結果を伝えるタイミングがあって。祝福の言葉をかけてくれた永野選手に『絶対に腐るんじゃないぞ』と声をかけました。東京五輪で男子フルーレは3位決定戦に敗れて4位に終わり、メダルには手が届きませんでしたが、パリで永野選手の努力が報われて僕もうれしいです」

【メダルラッシュを次の世代へ】

――引退した宇山さんに代わり、交代選手としてエペ団体に加わった古俣聖選手には何か声をかけましたか?

「古俣選手に対しては、選出が決まった時に祝福の言葉と、『単なる4番目の選手ではなく、劣勢の状況を跳ね返せるにはどうすればいいのか。交代選手としての役割をしっかり考えて、それを踏まえた準備してほしい』というアドバイスを送りました。惜しくも2大会連続の金メダルとはなりませんでしたが、第1戦の途中から出場した古俣選手は決勝のハンガリー戦でも健闘しましたし、すばらしいパフォーマンスを見せてくれました」

――女子サーブル団体も、交代選手の尾﨑世梨選手が活躍して銅メダルを獲得。パリ五輪ではフェンシングのメダリストが16人も誕生する結果となりました。

「僕が中学生で競技を始めた頃は、フェンシングでメダルを獲得した日本人選手がまだいなかったので、『五輪のメダリストになりたい』とは思いつつも、どこか『本当になれるのか』と疑問を抱きながら競技を続けている部分がありました。ですが、2008年の北京五輪・男子個人フルーレで太田雄貴さんが日本人として初めての銀メダルを獲得してからは、日本人でもメダルが獲れることを知った子どもたちが『太田選手のようにフェンシングでメダルを獲りたい』と夢を描くようになりました。

 今、現役選手として活躍している20代前半から中盤に差し掛かる世代は、ちょうど太田さんの活躍を子どもの頃に見ていた世代。競技に対する捉え方や、自信については僕らの世代とはだいぶ異なる印象があります。

 今回のパリ五輪で日本人選手がメダルを獲得する姿を目にした子どもたちのなかには、フェンシングの魅力に気づいて、実際の競技を始めてくれる子がいるかもしれません。それは本当にすばらしいことだと思いますし、僕らも『フェンシングでメダリストになりたい』という夢を叶えられるような競技環境を、さらに整えていかなければならないと感じています」

――最後になりますが、パリ五輪で活躍された後輩やこれからのフェンシング界に期待することがあればご意見を聞かせてください。

「僕は3年前の東京五輪・エペ団体で金メダルを獲得したあとに引退し、今は自身の会社を経営しながら、いろいろな形で競技の普及活動を進めています。僕は3年前に『メダリスト』と呼ばれるようになり、それによって周囲からの視線にもさまざまな変化があることを感じました。

 今回のパリ五輪で活躍した選手のみなさんも、競技の魅力を自身の言葉で伝えなければならない場面に直面したり、これまで関わりがなかった環境に踏み入れる場面が増えていくのではないかと思います。そこで各々のキャラクターを大切にしながら、フェンシングのすばらしさを発信していってほしい。メダルラッシュを追い風に、競技の明るい未来を築き上げていってほしいなと思っています」

【プロフィール】
宇山賢(うやま•さとる)

1991年12月10日生まれ、香川県出身。元フェンシング選手。2021年の東京五輪に出場し、男子エペ団体において日本フェンシング史上初の金メダルを獲得。同年10月に現役を引退。2022年4月に株式会社Es.relierを設立。また、筑波大学大学院の人間総合科学学術院人間総合科学研究群 スポーツウエルネス学学位プログラム(博士前期課程)に在学中。スマートフェンシング協会理事。スポーツキャリアサポートコンソーシアム•アスリートキャリアコーディネーター認定者。