8日夜(日本時間9日未明)に閉幕したパリ・パラリンピックの陸上男子車いす(T52)400メートルと100メートルで、静岡県藤枝市出身の佐藤友祈選手(35)が、それぞれ銀と銅メダルを獲得した。リオ、東京に続く3大会連続のメダル獲得に地元から…

 8日夜(日本時間9日未明)に閉幕したパリ・パラリンピックの陸上男子車いす(T52)400メートルと100メートルで、静岡県藤枝市出身の佐藤友祈選手(35)が、それぞれ銀と銅メダルを獲得した。リオ、東京に続く3大会連続のメダル獲得に地元からは祝福の声が相次いだ。藤枝市は9日、市役所にお祝いの懸垂幕を掲げた。

 「とにかく目標に対して真面目で一途にとり組む。そして負けん気が強い。苦手とされた100メートルを含め、2個のメダルが取れたことは大きい」。こう話すのは同市のNPO法人「障害者生活支援センターおのころ島」の井出一史理事長(70)だ。

 2人の出会いは十数年前。当初は原因不明の病気で車いす生活になった佐藤さんが、同じように車いす生活を送る井出さんを訪ねたのがきっかけだった。

 井出さんらは、佐藤さんの病気の原因を「脊髄(せきずい)炎」という診断を特定させる支援をした上で、障害者手帳の交付に向けても奔走。さらに中古でボロボロだった佐藤さんの車いすの新調にも力を尽くした。以来、2人は世界レベルの大会中にSNSのラインを交換するなど交流が続いている。

 400メートルでは銀メダルを獲得した。「お疲れさま」とメッセージを送った井出さんに、佐藤さんは「ありがとうございます。4年後のリベンジにかけます」と返したという。

 佐藤さんの母校・静清工業高校(現静清高校)からも祝福を送る人がいた。高校の恩師で、いまは非常勤講師の若林真理子さん(67)と石上辰二郎さん(65)の2人だ。

 高校時代の佐藤さんは発病しておらず、車いすは使っていなかった。得意の囲碁で活躍する一方、授業になじめず、頻繁に保健室に駆け込んだり、早退したりしたこともあったという。

 車いす生活になった直後は自宅に引きこもったこともあった。しかし、テレビで競技用の車いすで疾走する選手をみて一念発起した。

 2人は「当初からパラリンピック出場を目標にしていたが、ここまでの好成績を残す選手になるとは思わなかった。彼の努力と強い気持ちの成果だと思う」と口をそろえた。

 市は9日、市庁舎に「おめでとう銀銅メダル獲得‼佐藤友祈選手」(縦8メートル、横90センチ)などと書いた懸垂幕を掲げた。(林国広)