社会への問いかけをテーマとして戦うパラアスリートが、大粒の涙を流した。パリ2024パラリンピックで卓球男子シングルス(立位/クラス7)の八木克勝が、タイの選手と戦った準々決勝で、0-3(9-11、8-11、4-11)で敗戦した。「ただただ悔…

社会への問いかけをテーマとして戦うパラアスリートが、大粒の涙を流した。パリ2024パラリンピックで卓球男子シングルス(立位/クラス7)の八木克勝が、タイの選手と戦った準々決勝で、0-3(9-11、8-11、4-11)で敗戦した。

「ただただ悔しい。バックハンドのミスが多かった。相手はとくに何もやってないんですけど、自分のミスがどんどん多くなった」と涙を流した。

メダルを目指して大会に挑んだが……

タイの選手がバックハンドから繰り出すボールがよく伸び、対応に苦しんだ。

「自分が上からバックハンドを打っていけなくて、どうしても下から下からとなった。ボールが浮いてしまった」

低く短い弾道のショットにも手をこまねき、ポイントをどんどん奪われた。そのなかでも苦境を打開すべく、ゲームごとにサーブを変えるなど、策を講じたが、うまくいかなかった。ラケットの握りを変えて面を入れ替える「反転」も駆使したが、それも返された。

「相手は全然ミスをしなくて、自分が防戦一方になってしまった。完敗でした」

敗戦の現実を受け入れた。

ガッツポーズを見せる八木克勝

初出場だった東京2020パラリンピックでは、個人戦は決勝トーナメント1回戦で敗退して9位。団体も1回戦で負けて最下位だった。結果も悔しかったが、何よりつらかったのは、無観客開催だったことだ。

「やっぱ、東京大会でみてほしかった。パリ大会でみてもらいたいという思いで3年間やってきた」

先天性両橈骨欠損症で両腕の肘から先が短いが、下肢は十分に動く。中学から卓球を始め、スピーディーなフットワークと、豊富な運動量を武器に実力を磨き、2015年からパラ卓球の国際大会にも出るようになった。

「僕は先天性ですが、病気を持った方や事故に遭った方が、“もう1回、チャンスってあるよね”というのがパラリンピックだと思う」

東京大会以降は、さまざまな挑戦をした。戦型は右シェークオールラウンダー。バックハンドのラバーを以前の「粒高ラバー」から、扱いは難しいが戦いの幅を広げられる「アンチラバー」に変えた。ラリー中にラケットの握りを変えて面を入れ替える「反転」にも取り組み、実力を高めてきた。

さまざまな挑戦は、八木の実力に磨きをかけた

2022年4月には、張本智和らを擁するTリーグの琉球アスティーダとマネジメント契約を結び、パラ卓球の選手として所属しながら、パラスポーツの世界を発信することにも力を注いだ。

そして迎えた昨秋の杭州アジアパラ競技大会。八木は、準決勝で東京大会を制した閻碩(中国)を破り、決勝では東京大会の1次リーグで負けた廖克力(中国)を撃破。この大会で金メダルに輝き、パリ大会の出場権を獲得した。世界ランクは2位。パリ大会では金メダル候補の一角だった。

パラリンピックは“障がい者”を知ってもらう機会

八木には、「まずは日本の人々にパラスポーツをみてもらい、“障がい者”を知ってもらい、良い悪いは別に、何かを感じてほしい」という願いがある。

パリでの戦いを終え、「お客さんが入っているなかでの試合が本当に楽しかった」と語ったのは、素直な思いだろう。今回の八木の足元は、右が白、左がピンクという、左右異なる色のシューズ。日の丸の旗をイメージした靴で挑んだのも、とにかく人々にパラ卓球をアピールしたかったからだ。

「パリ大会に出られて僕は幸せだと思います。パラリンピックにとって、やっぱりお客さんって大事な要素です」

そこまで言うと、思いが次々にあふれた。

「放送も全然なくて。日本の人にもみてもらいたかったなと、余計悔しくなってしまいました。パリでやれたのはうれしいですけど、やはり東京で日本の皆さんに見てもらい、何かを感じてほしかった。せめてここで銅メダル以上があったら、何かが変わったかもしれないと。ツラいっすね」

今後については、所属している広告代理店の業務を通じて、パラスポーツを日本の多くの人に知ってもらう活動をしていきたいと考えている。

八木は今後、パラスポーツや競技の認知度を上げる活動をするという

「みてもらえる機会をつくって、その結果、共生社会やD&I(ダイバーシティ&インクルージョン)のエッセンスとなる行動をしていきたい」

パラ卓球の世界レベルは、年々上がっている。そのなかで新たな挑戦に身を置き、実力を磨いてきた八木の努力は、世界ランク2位という数字に示されている。

「世界の成長曲線にまだ食らいついているから、ここに出られているのだと思う。でも、ここで勝たなければいけなかった」

無念を振り絞る様子にも、この先へ向かっていこうとする意志があふれていた。

edited by TEAM A

text by Yumiko Yanai

photo by Takamitsu Mifune