上位陣との真っ向勝負が多くのファンを引きつけた嘉風 photo by Kyodo News 平成とともに訪れた空前の大相撲ブーム。新たな時代を感じさせる個性あふれる力士たちの勇姿は、連綿と時代をつなぎ、今もなお多くの人々の記憶に残っている。…


上位陣との真っ向勝負が多くのファンを引きつけた嘉風

 photo by Kyodo News

 平成とともに訪れた空前の大相撲ブーム。新たな時代を感じさせる個性あふれる力士たちの勇姿は、連綿と時代をつなぎ、今もなお多くの人々の記憶に残っている。

 そんな平成を代表する力士を振り返る連載。今回は、30代以降の真っ向勝負が記憶に刻まれる嘉風を紹介する。

連載・平成の名力士列伝08:嘉風

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【アマ横綱の実績も「ケガをしたらどうするんだ」】

 強烈な張り手やカチ上げをまともに食らってもまったく怯むことなく、常に堂々の真っ向勝負でしばしば横綱、大関陣を撃破した嘉風の雄姿は、今も多くの相撲ファンの記憶に刻まれているに違いない。しかし、持ち味であるすべてを出し切る"全力相撲"で大きな拍手と大歓声を浴びるようになるのは、30代になり、ベテランと言われるようになってからだった。

 日体大3年でアマチュア横綱に輝いたが、学生生活最後の1年はビッグタイトルに恵まれずに付け出し資格(学生やアマ相撲で優秀な成績を収めた力士に与えられる大相撲における地位を優遇する制度)を失い、平成16(2004)年1月場所のプロデビューは、元アマ横綱としては史上初めて前相撲からスタートした。

 期待どおりの出世で、所要9場所で関取に昇進。これを機に四股名を本名の大西から嘉風に改めると十両もわずか3場所で通過し、平成18(2006)年1月場所、23歳で新入幕を果たす。破竹の勢いで番付を駆け上がる元アマ横綱の逸材は、すぐにでも三役かと思われたが、2度の十両落ちを経験するなど、平幕2ケタの地位で長らく燻ることになる。

 前頭12枚目だった平成20(2008)年11月場所は横綱・白鵬らと千秋楽まで優勝を争って11勝をマークし、初の三賞となる敢闘賞を受賞すると、翌場所は初の横綱、大関対戦圏内の前頭2枚目に躍進するが、6勝どまりで再び平幕下位へ。平成22(2010)年9月場所も11勝で2度目の敢闘賞を手にしたが、覚醒のきっかけとはならなかった。

 元関脇・嘉風の中村親方は、当時を「"のらりくらり期"だった」と述懐する。

「十両に落ちなければいいというくらいの意識でした。自分は上位で取るお相撲さんの器ではないし、横綱、大関と対戦してケガをしたらどうするんだと思っていました。番付の上には自分以外の強い人がいくべきだ、みたいなね(苦笑)」

【最も大切なことへの気づき】

"のらりくらり期"は新入幕場所以来、7年以上も続いたが、やがて相撲人生の転機となる一番を迎えることになる。大分県出身の嘉風にとって九州(11月)場所は「準・ご当所場所」であり、毎年九州場所8日目は地元・佐伯市から応援団が大挙して観戦に訪れるのが、恒例行事になっていた。

 平成25(2013)年9月場所は右手首を骨折して途中休場し、前頭13枚目で迎えた翌九州場所は患部の状態が思わしくなく序盤から振るわず、前半は2勝5敗と幕内残留には厳しい星勘定だった。故郷からバスで大勢の人たちが現地観戦にやって来た8日目は、旭日松戦が組まれた。せめてこの日だけは何としてでも勝ちたい一心で立ち合いは変化したが、難なく相手についてこられ、いいところなく押し出されてしまった。

 その瞬間に襲ってきた強烈な後悔の念に、いたたまれなくなった。年に一度の生観戦を楽しみにしていた地元の人たちの前で、安易に勝ちにいこうと消極的な相撲を取ってしまった自分を大いに恥じた。打ち出し後、帰りのバスに乗り込んだであろう時間を見計らって、嘉風は応援団のひとりとして観戦していた母親に「今年も皆さんで応援に来てくれて、ありがとう。皆さんに伝えてください」とメールした。相撲のことは極力、触れたくなかったので、最低限のお礼だけを述べると、程なくして返信が来た。

「先場所は休場したので今年は見られないと思っていたのに、土俵に立っている姿を見ることができて本当にうれしかったと皆さんが言っています」

 一番大事なことは、勝つことではないと気づいた瞬間だった。それよりも勝つための準備にベストを尽くし、土俵上ではすべてを出しきり、いい相撲を取ろうという意識に大転換すると、不思議と結果がついてきた。2勝6敗から後半は怒涛の盛り返しで幕内残留を決めるどころか、勝ち越して場所を終えると、翌26(2014)年1月場所から2場所連続10勝をマーク。同年5月場所は昭和以降、史上8位の高齢新三役となる32歳1カ月で新小結に昇進した。

 この場所は6勝9敗に終わり、1場所で三役の座を明け渡したが、9日目の大関・稀勢の里戦は嘉風の真骨頂と言える一番となった。激しい突っ張り合いから得意の左を差して相手を追い詰める場面もあったが、最後は激しい攻防の末、土俵中央に仰向けに倒された。館内の万雷の拍手は勝者だけでなく、間違いなく敗者にも向けられたものだった。

「負けはしましたが、自分のなかでは生涯で最高の相撲が取れたと思います」と引退会見では、この相撲を思い出の一番に挙げている。

 平成28(2016)年1月場所は戦後6位の高齢となる33歳9カ月で新関脇に昇進すると「最高齢大関を目指します」と高らかに宣言し、気力、体力は益々充実。負けが込んでも決して下を向くことはなく、平成30(2018)年7月場所は初日から13連敗を喫したが、立ち合い変化に逃げることは、決してなかった。

「勝ち負けはじゃんけんみたいなもの。13回連続でじゃんけんに負けたことをいくら分析しても答えは出てこないのと一緒」と取組後も常に厳しい現実と向き合い、日に日に輪が大きくなる報道陣にも背を向けることなく連日、コメントを残した。

 令和元(2019)年5月場所は4勝11敗と不本意な成績に終わったが、気力はいささかも衰えず、再起に向けて場所後は右ヒザの手術も受けたほど。しかし、直後に行なわれた地元・佐伯市のPRイベントのキャニオリング(渓谷を利用したアウトドアスポーツ)に参加した際、右ヒザに再起不能のケガを負い、37歳ながら余力を残して引退を余儀なくされたのは惜しまれた。

【Profile】嘉風雅継(よしかぜ・まさつぐ)/昭和57(1992)年3月19日生まれ、大分県佐伯市出身/本名:大西雅継/しこ名履歴:大西 →嘉風/所属:尾車部屋/初土俵:平成16(2004)年1月場所/引退場所:令和元 (2019)年9月場所/最高位:関脇