<全国高校野球選手権:京都国際2-1関東第一>◇23日◇決勝京都国際の主将・藤本陽毅(はるき)(3年)は、主将と4番として、チームを引っ張り、打率3割9分1厘4打点で、FAXを送って入学を志願した同校念願の初優勝に貢献した。今春センバツで初…

<全国高校野球選手権:京都国際2-1関東第一>◇23日◇決勝

京都国際の主将・藤本陽毅(はるき)(3年)は、主将と4番として、チームを引っ張り、打率3割9分1厘4打点で、FAXを送って入学を志願した同校念願の初優勝に貢献した。今春センバツで初戦敗退し、センバツ直後に主将へ就任した藤本は、23年9月に患った病を乗り越え、初の甲子園で日本一をつかみ、仲間に感謝しながら喜んだ。

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歓喜への物語は1枚のFAXから始まった。4年前の卒業生でオリックス育成の上野響平内野手(23)が憧れ。「高校生離れしたアクロバティックな守備に一目ぼれした」。時がたって、中学3年時に同校が夏の甲子園で4強入り。小牧憲継監督(41)の指導方針も「好きだった」と、福岡から「返事は来ない」と思いつつも父・浩一さん(47)がFAXを送ったところ、返事があり、ちょうど空いていた1枠での入学が決定した。

志願した憧れの高校での日本一。「つらいことが本当に多かったが、全部報われた瞬間だった」と振り返った。「病気がきっかけで変わろうと思ったので、2年半で一番の思い出」。昨年9月下旬から10月後半にかけて、ウイルス性肝炎を発症。入院し、地元福岡に戻って療養を行い、離脱した。昨秋の大会はベンチ外も、仲間が今春センバツ出場を決めてくれた。

努力家の藤本は、センバツ後から、エース中崎琉生(るい)投手(3年)に代わって主将を務めた。センバツは悔しい結果となったがチームで「どこよりもバットを振ってきた自信」を持ち、夏は打線がつながった。この日は1安打を放つも得点に絡むことはできず、9回には失策でピンチを広げたが、中崎が抑えた。「(春は)甲子園に連れて行ってもらったし、今日の試合も、みんなに助けてもらって優勝できた」と仲間に感謝した。

韓国語の校歌について話題になることが多い。「いろんな考え方があるし、批判されることはしょうがない」と語りつつも「僕たちのことを言われるときもあるのでつらいが、そういう人たちに負けず、今まで応援してくれた人たちのために絶対に勝ってやろう」と強い気持ちで戦った。100周年を迎えた聖地甲子園。最高の夏に「本当に幸せ者だと思う」と喜んだ。【塚本光】

▽京都国際・金本(10回に先制の押し出し四球を選び決勝点)「1点だけじゃ足りない。『次も頼むぞ』とガッツポーズした。(優勝の瞬間は)一瞬で、この仲間でやって来てよかったという気持ちになった」

◆京都国際 前身は1947年(昭22)開校の京都朝鮮中。京都韓国学園時代の99年に創部の野球部は、初の外国人学校硬式チームとして日本高野連に加盟。。2004年に日本の教育課程を学ぶ私立校として現校名に変更された。男女共学。生徒数138人(野球部員61人)。甲子園出場は今回で夏3度目(春は2度)。22年春は新型コロナウイルスの集団感染のため、開幕前日に出場を辞退した。主なOBは森下瑠大(DeNA)中川勇斗(阪神)曽根海成(広島)ら。学校所在地は、京都市東山区今熊野本多山町1。白承桓校長。