(19日、第106回全国高校野球選手権大会準々決勝 神奈川・東海大相模1―2東東京・関東第一) 夏の甲子園大会で9年ぶりに8強入りした東海大相模は、準々決勝で関東第一に敗れた。 岡村日和マネジャー(3年)は記録員として甲子園球場のベンチに入…

(19日、第106回全国高校野球選手権大会準々決勝 神奈川・東海大相模1―2東東京・関東第一)

 夏の甲子園大会で9年ぶりに8強入りした東海大相模は、準々決勝で関東第一に敗れた。

 岡村日和マネジャー(3年)は記録員として甲子園球場のベンチに入り、チームメートを励まし続けた。

 0―2で迎えた九回、最後の攻撃。チームは1点を返した。さらに2死一、二塁と攻めたが、あと一歩、届かなかった。

 「チームメートをずっと信じていたので、1点取れたところもさすが相模だなと思った。みんなの力が最後まで見られたのが良かった」

 初戦の12日は、朝から緊張で手が震えていた。

 東海大相模で女子マネジャーが甲子園でベンチ入りするのは、初めてのことだった。

 試合の途中。緊張がほぐれてきた選手らを見ているうちに、甲子園が相模原市の学校グラウンドに見えるほど落ち着けた。

 祖父が監督をしていた少年野球チームの子どもたちが、アルプス席で応援しているのが見えた。

 「おじいちゃんも、どこかから見てくれていたらいいな」

 三重県出身。野球一家の長女として生まれ、小学1年になると、祖父が監督を務める少年野球チームに入った。

 しかし、直後に祖父が末期がんとわかり、急逝した。野球を始めてから約2週間後、自身の誕生日前日のことだった。

 「せっかく大好きなおじいちゃんがいるから、野球を始めたのに……」

 傷心の岡村マネジャーは誰にも言わず、幼心にこう決意した。

 「おじいちゃんの分まで野球しやんと(しないと)」

 中学では体格差などを考慮してソフトボールの道に進んだが、「野球に関わりたい」という思いを持ち続けた。

 そして、部活を引退した中学3年の秋、運命の出会いがあった。

 愛知県内であった中京大中京と東海大相模の招待試合。父と2人で見に行き、縦じまのユニホームで躍動する選手らに目を奪われた。

 「選抜大会で優勝したばかりだったんですけど、生で見たらオーラがすごくて。絶対に相模のマネジャーになるって決めました」