決勝最後の進出枠を掴み、ファイナリストとなった村竹ラシッド photo by JMPA【辛うじて生き残り日本史上初の決勝へ】 男子110mハードルで日本史上初のオリンピックでの決勝進出が実現されると期待されたパリ五輪。8月4日の予選では、村…
決勝最後の進出枠を掴み、ファイナリストとなった村竹ラシッド
photo by JMPA
【辛うじて生き残り日本史上初の決勝へ】
男子110mハードルで日本史上初のオリンピックでの決勝進出が実現されると期待されたパリ五輪。8月4日の予選では、村竹ラシッド(JAL)が第1組で13秒22の1着となると、第4組の泉谷駿介(住友電工)は13秒27で3着と、ともに余裕を持って着順通過と好調なスタートを切った。
泉谷は東京五輪でも準決勝進出、昨年のブダペスト世界選手権では日本勢初の決勝進出を果たした先駆者で、村竹はその後を追ってきた。学年はふたつ違い、練習環境等は異なったものの、同じ順天堂大で世界を目指してきた縁もある。
そのふたりが余力を残して準決勝に進出した。今大会から採用となった準決勝進出のための敗者復活ラウンドのため、中2日で準決勝があり、その翌日が決勝という日程。これまでにない変則スケジュールのなか、8月7日の準決勝で決勝への扉をこじ開けたのは、後輩の村竹だった。
「スタートは出遅れたと思うし、加速したい局面で足を思いきりハードルにぶつけてしまい、それ以降も立て直せずハードルにぶつけるという、悪いところがふんだんに出たレース。全然満足いく内容ではなかったです。
(ウォーミング)アップの時はすごいバネ感があって重心がいつも以上に高くなってしまうようなハードリングだったので、重心を落として攻めましたが、ちょっと攻めすぎてしまった」
こう言うように準決勝第1組の村竹は、4台目までは3番手につけていたが、その後は4番手に落ちた。最後は思いきり上体を前傾するフィニッシュで、着順進出条件である組2着以内には0秒09届かない13秒26で4着。それでも、全3組の3着以下で記録上位2名による決勝進出の可能性を辛うじて残した。
「最後の組の結果を待機所で待っている間は、『何年寿命が削り取られたんだろう』と思うくらい。『どこが悪かったんだろう』と後悔ばかりしていて生きた心地がしなかった」
だが、第2組の3着は13秒34、そして第3組では泉谷が13秒32で3着同着。その結果、村竹の決勝進出が決まった。
0秒06差で決勝進出を逃した泉谷は、こう振り返る。
「今季は僕のなかにうまくいかなかった部分が結構あり、それを修正できずにきたので薄々『こうなるんじゃないか』というのがありました。インターバル(ハードルとハードル間の走り)が詰まってしまうのでそれをどう制御するかが問題でしたが、インターバルを刻む能力やハードルに突っ込む角度を見つけられなかったのが大きいです」
4月から7月までは世界最高峰のシリーズ大会、ダイヤモンドリーグに5大会出場し、7月21日のトワイライトゲーム(東京)では13秒10のシーズンベストを出していた泉谷。だが「トワイライトもタイムはよかったが、結構抜き足(ハードルを跳ぶ際の後ろ足のこと)をぶつけていた。日本のプラスチック製の軽いハードルだから助かったが、本番の木製のハードルに対応できなかった」と言う。そんな状態でも決勝進出まで0秒06差まで迫り、その実力は示した。
【「楽しかったけど、悔しい」】
悔しさは残るも、メダルを狙える手応えを掴んだことも大きな収穫に
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その泉谷の思いも背負った村竹の決勝。
「1台目のハードルを当てたのがよくなかったけど、2台目と3台目で修正して立て直せたので、後半にいい流れで入っていけると思った」と村竹自身が振り返るように、3台目から5台目までは3番手に上がり、ひとり抜け出したグラント・ホロウェイ(アメリカ)を追いかける集団のなかで競り合った。
だが、「5台目、6台目くらいでリード脚が勢いに対応できずハードルに当たってしまい、バランスを崩しかけてからグダグダになってしまった」と、13秒09だったダニエル・ロベルツ(アメリカ)とラシード・ブロードベル(ジャマイカ)から遅れ、最後は追い込んで来たエンリケ・リョピス(スペイン)に交わされ、13秒21で5位という結果になった。
男子トラックの短距離種目における5位は、1932年ロサンゼルス五輪100mの吉岡隆徳氏の6位を上回る日本の五輪歴代最高順位である。だが、村竹は、素直な思いを口にする。
「5位は、いいのか悪いのかわからない中途半端な順位。しかもメダル争いに加われていたかもしれないので、かなり悔しさが残ります。オリンピックの決勝に進めたというのは大きな成果だしうれしいですが、ゴールしてみたら楽しかったという思いと、メダルが獲れなかった悔しさがあった。まだまだ強くなっていかなければという思いはありました」
村竹は、東京五輪選考会の2021年の日本選手権準決勝で五輪参加標準記録突破の13秒28を出したが、決勝はフライング失格。挫折を味わった。さらに2022年オレゴン世界選手権には出場したものの予選敗退、2023年は肉離れで日本選手権に出場できなかった。だが、昨年7月の復帰レースで自己新の13秒18を出してパリ五輪参加標準記録を突破すると、9月の日本インカレでは泉谷の日本記録に並ぶ13秒04で優勝。そして代表を決めた今年の日本選手権の13秒07を筆頭に、4回もパリ五輪参加標準記録突破と安定した力を見せていた。
「東京五輪のあとから、ずっと待ち望んでいた場所だから長かったですね。その舞台を目標にして3年間ずっとトレーニングをしてきて、決勝進出というのは課題で、目標ではなくなっていた。メダルは獲れなかったですが、今回でメダルを獲れるかもしれないという目標も現実味を帯びたかなと思うので、この3年間は無駄ではなかったと思う。ここで走ったことで、もっともっと強くなれると思いました」
決勝という舞台を考えること、スタートラインに立つこと、そして実際にレースを走ること、ゴールをすること。そのすべてを含めてこれまで一番緊張したレースであると同時に、「一番楽しいレースだった」とも言う村竹。それを実際に体験できたのは、昨年の世界選手間で泉谷が決勝に進み、「メダル獲得も可能だ」という走りを見せてくれたからだ。
「この種目は体格がすべてではない、自分たちの体格でも世界で勝負ができるし、メダル獲得も可能だと思います。それを証明してくれた泉谷さんがいなかったら、今、僕はこの場に立っていなかったと思います」
歴史を塗り替えたオリンピック5位という村竹の結果は、先輩の泉谷とふたりでさらなる高みを目指し、110mハードルを日本のお家芸にまでできる可能性を示すものでもあった。
東京五輪前から男子110mハードルを牽引してきた泉谷
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