(12日、第106回全国高校野球選手権大会 2回戦 熊本工1―2広陵) 熊本工のエース広永大道(だいち)さん(3年)は12日の広陵戦で、ボールパーソンとして、チームが入る一塁側ベンチの横で試合を見守った。熊本大会中のけがで甲子園はメンバー…

 (12日、第106回全国高校野球選手権大会 2回戦 熊本工1―2広陵)

 熊本工のエース広永大道(だいち)さん(3年)は12日の広陵戦で、ボールパーソンとして、チームが入る一塁側ベンチの横で試合を見守った。熊本大会中のけがで甲子園はメンバーを外れたが、「仲間のために自分が出来ることは全てしよう」とチームを支えてきた。

 試合は1点を争う投手戦に。「みんなを信じるしかない」「自分がマウンドに立って、チームを助けたい」。揺れる思いで見つめた。

 最速146キロの速球と、切れ味鋭いスライダーで三振の山を築く剛腕だ。軟投派の山本凌雅投手(2年)が先発し、広永さんが締めくくる。これが、今夏の熊本工の必勝パターン、のはずだった。

 だが7月16日、熊本大会のチーム初戦で予期せぬアクシデントが起きた。広永さんは六回から登板し、2三振を奪った。その裏の攻撃、打席でファウルを打った際、体に激痛が走った。腕を上げられなくなり、キャッチボールも出来なくなった。

 ほかの選手と交代して試合後、病院に行くと、右肋骨(ろっこつ)の疲労骨折と診断された。夏の甲子園大会中の回復は見込めない、と告げられた。

 背番号1を任された今夏の大会には、強い思いで臨んだ。

 背番号10をつけた昨夏は、準々決勝で先発したが緊張で力を発揮できなかった。五回途中まで投げて被安打8。味方の失策も絡んで4点を失い、チームは敗れた。

 昨秋以降も、チームが公式戦で勝ち進めない時期が続いた。エースとしての責任を感じた。打球処理に制球力と、練習を積み重ねて不安材料を一つずつ消していった。

 今年5月のNHK旗大会では、3試合計11回を投げて12奪三振、自責点0。力感あふれるフォームから自信を持って直球を投げ込む姿が、成長を感じさせた。この大会でチームは優勝し、熊本大会の第4シードを確保した。

 短い期間で登板を繰り返す「夏」に勝ち上がるため、体力をつけようと、本番前に投げ込みや走り込みの量を増やした。

 練習後の体のケアには気を配ったつもりだったが、疲れがたまっていたのかも知れない。悔やんだが、エースの振る舞いはチームの士気に影響する。すぐに気持ちを切り替えた。

 欠場後の熊本大会では、試合前にノックの補助員を担い、試合中はベンチで、ほかの投手に気付いたことを助言した。

 決勝では試合開始前にベンチ近くで組んだ選手たちの円陣の中心に立ち、前日に五厘刈りにした自身の頭髪を示して、仲間を鼓舞した。

 「だいち」の分まで頑張ろう――。山本投手をはじめとする仲間が奮起し、チームは優勝した。だが決勝翌日、発表された甲子園のベンチ入りメンバーに広永さんの名はなかった。

 全国での厳しい戦いには、一人でも多くの「投げられる」投手が必要だ。田島圭介監督と話し合い、その事情を受け入れはしたが、憧れ続けた甲子園のマウンドに立てないと実感すると、再び落ち込んだ。それでも、思い直した。

 「対戦相手の打者分析などで、投手の自分だから役に立てることがあるはずだ」

 甲子園入り後も補助員としてチームに同行。練習のボール拾いなどで支え、「近くから仲間たちを見ていたい」と自らボールパーソンをさせて欲しいと志願した。

 「もう一度、お前らと野球がしたい」。そう打ち明けた広永さんのため、仲間たちは秋の国体出場を目指して甲子園8強以上の目標を掲げた。1番を継いだ山本投手はこの日、広永さんのグラブを手に好投。チームは最後の攻撃まで粘った。

 「みんなが、投げられない自分を甲子園まで連れてきてくれた」

 試合後、感謝の言葉を口にした。

 大学に進んで野球を続け、プロ選手になって、このマウンドに。新たな決意を胸に、憧れの聖地を後にした。(吉田啓)