【栃木】パリ五輪のレスリング女子フリースタイル76キロ級で、宇都宮市出身の鏡優翔(ゆうか)選手(サントリー)が11日、金メダルを獲得した。大会最終日、日本選手団の有終の美を飾る快挙に、県内の関係者も祝福。自身も元重量級世界女王である恩師は…

 【栃木】パリ五輪のレスリング女子フリースタイル76キロ級で、宇都宮市出身の鏡優翔(ゆうか)選手(サントリー)が11日、金メダルを獲得した。大会最終日、日本選手団の有終の美を飾る快挙に、県内の関係者も祝福。自身も元重量級世界女王である恩師は「五輪の金を目指すバトンがつながった」と喜んだ。

 小中学生時代の鏡選手を指導したのは、1994年世界選手権75キロ級優勝の船越光子さん(50)。競技を始めたばかりの鏡選手は「思い出せないほど全く普通」だった。ただ、勝負になると「スーパー負けず嫌い」。スパーリングでは相手が男子でも、大人でも、負けると地団太を踏んで悔しがった。かけっこのリレーの組分けを決めるじゃんけんで負けても悔しがった。

 「先入観がなく、目の前の相手を倒すという気持ちがあり、すごく格闘技に向いていると思った」

 小学3年で初の全国優勝を果たし、鏡選手は真剣な顔でこう言ったという。「オリンピックで金メダルを取りたい。どうしたらいいですか」

 周囲の大人は無邪気な夢と笑った。だが船越さんは違った。「目が本気だった。夢を語る子はいっぱいいるが、目標を語っていると分かった」

 世界の舞台で戦った自身の経験を踏まえ、「教えるべきことは何でも教える。全力で教える。その代わり、厳しいよ」と応えた。鏡選手は「どんなことでもついていきます」と言ったという。

 指導は厳しさを増した。鏡選手にだけ言葉や態度を変えた。ほかの子は、タックルで倒したら「上手だよ」とほめ、鏡選手は「なぜすぐに次の攻めにいかないのか」と叱責(しっせき)した。周囲から「かわいそう。なぜ優翔ちゃんばっかりあんなに厳しくするの?」と言われた。船越さんは「優翔が求めているからしょうがない」と答えた。鏡選手がどんなに頑張っても「もう一歩できるでしょ。もうひとつ前にいけるでしょ」と力を振り絞らせた。鏡選手は泣きながらも練習をやめなかった。

 直接の指導は、東京のJOCエリートアカデミーに進む中学の途中まで続き、その後も、大会に駆けつけたり、連絡を取り合ったりしてきた。

 鏡選手が強くなれた理由は、物おじしない性格だと感じている。「笑顔がよく、誰からも愛される子。全国の指導者のみなさんが優翔を好きで、声をかけて技術面、精神面で指導してくださる」という。

 小中学生時代に強さの「基礎」にしたものがある。タックルだ。五輪の話をした時に「(吉田)沙保里、(伊調)馨、(浜口)京子は、なんで勝ってる? タックルだよね。タックルを磨かないと五輪では勝てない」。子どもは投げ技などが「手っ取り早く勝てる」が、タックルを重視した。今では鏡選手が「私には何種類ものタックルがある」と言うほど得意技になった。

 船越さんの現役時代、女子レスリングは五輪種目ではなかった。最重量級で跡を継いだ浜口京子さんはアテネ、北京の両五輪の72キロ級で銅メダルを獲得した。ただ、頂点には届かなかった。鏡選手には「私を超えろ」と激励してきた。日本選手は体格的に不利との指摘もある最重量級で、五輪の頂点を目指し続けた関係者の熱意が、ついに結実した。(津布楽洋一)