◆パリ五輪 第15日 ▽ブレイキン(9日・コンコルド広場) 9日の女子決勝で、湯浅亜実(ダンサー名=AMI、25)がドミニカ・バネビッチ(同=NICKA、リトアニア)を3―0で破って金メダルを獲得した。音楽に合わせた即興のダンスで対戦する新…

◆パリ五輪 第15日 ▽ブレイキン(9日・コンコルド広場)

 9日の女子決勝で、湯浅亜実(ダンサー名=AMI、25)がドミニカ・バネビッチ(同=NICKA、リトアニア)を3―0で破って金メダルを獲得した。音楽に合わせた即興のダンスで対戦する新競技で、初代女王に輝いた。当初は決勝で想定していた勝負技を準決勝で繰り出すなど、攻めのダンスでパリを彩った。28年ロス五輪では不採用となっている競技だが、湯浅が日本のブレイキン史に新たな歴史を刻んだ。

 会場を包むスタンディングオベーションの中心で、湯浅は仲間と抱き合った。パリ五輪で初採用されたブレイキンで、初代女王となった。「本当だったら、泣きたいくらいうれしいけどまだ実感できなくて。ちょっとふわふわ」。少し実感が沸いたのは表彰台で国歌を聴いた時。「わ、(金メダルを)取ったんだ」。やっと笑みがこぼれた。

 1次リーグから15ラウンド(R)を1日で行う1対1の激闘。準決勝で湯浅が勝負に出た。1―1で迎えた第3R。接戦になった18歳のサルジュー(オランダ)にぶつけたのは「大事な時に使う」という銃を撃つような独創性のある動き。当初は決勝での勝負技として温めていたが、直感で「今、出すべきだ」と判断した。石川勝之コーチ(43)から継承した“一撃”で、観衆を魅了。決勝もかっこ良さを丸ごと体現する踊りで3―0と快勝した。

 小学1年からヒップホップ、10歳から始めたブレイキン。自宅の駐車場に段ボールを敷き、姉の亜優(29)とダンスに没頭した。「アザだらけになってもやっていたし、すごく夢中だった」。靴はすり減り、練習着もすぐにボロボロになった。

 ブレイキンの五輪採用が決まった時、自己表現するための踊りが勝負になることへの抵抗もあった。「かっこよくない動きは使わない」と、あくまで自身の理想を追求し、4か月間練習した新技を突然捨てたこともあった。

 6月にブダペストで五輪予選最終戦を控え、重圧から十分な睡眠は取れず、誰かに追いかけられる夢で目が覚めることも。だが歩みは止めなかった。出発前、付箋に手紙を書いた。「お疲れさま。どんな結果になったとしても、頑張ったよ」。宛先は自分。カレンダーの帰国予定の日に貼った。パリへの切符を手にした自分を、その手紙が誇らしく出迎えた。

 キレのあるパワームーブ(床に背中や頭をつけて回転させる動き)が目を引くが、こだわったのは流れや技のつなぎ。パリの舞台で思いっきり自分を表現した。28年ロス五輪では競技不採用が決まっている。だが、湯浅の旅路は終わらない。「ブレイキンを知らない人にも伝えられて(五輪を)やってよかった。スポーツの世界にブレイキンはこういうもんだって、全員で伝えていきたい」。踊る楽しさはそのままに挑戦は続いていく。(大谷 翔太)

 ◆試合方式と採点方法 4組各4人の総当たりで予選(1試合2ラウンド)を行い、各組上位2人の計8人が決勝トーナメントで争う。1対1の直接対決で先攻、後攻のバトル形式。盛り上げ役のMCと音楽担当のDJがおり、事前に知らされていない音楽に合わせて即興でダンス。最大1分間のパフォーマンスを3ラウンド行い、9人のジャッジが「技術」「多様性」「完成度」「独創性」「音楽性」の5項目を各20点で採点し勝敗を決める。決勝まで戦うと15ラウンドを踊ることになる。

 ◆湯浅 亜実(ゆあさ・あみ)

 ▽生まれ 1998年12月11日、埼玉・川口市生まれ、25歳。

 ▽ダンサー名 AMI

 ▽競技歴 4学年上の姉の影響で小学年からヒップホップを始め、10歳からブレイキン。18年に世界最高峰の「BC ONE」で初代女王に輝き、世界選手権は19、22年に優勝。

 ▽学歴 駒大・文学部英米文学科卒業

 ▽腹筋 持ち味であるスムーズでダイナミックな動きを支えるのはきれいに割れた腹筋。10万人のフォロワーを誇るSNSの写真にも写っており話題。

 ▽兄弟 姉の亜優(ダンサー名=AYU)も現役ダンサー。

 ▽趣味 編み物