<パリオリンピック(五輪):レスリング>◇7日(日本時間8日)◇女子53キロ級決勝◇シャンドマルス・アリーナ【パリ8日(日本時間9日)=阿部健吾】女子53キロ級の藤波朱理(20=日体大)が金メダルをつかんだ。決勝戦でジェペスグスマン(エクア…

<パリオリンピック(五輪):レスリング>◇7日(日本時間8日)◇女子53キロ級決勝◇シャンドマルス・アリーナ

【パリ8日(日本時間9日)=阿部健吾】女子53キロ級の藤波朱理(20=日体大)が金メダルをつかんだ。

決勝戦でジェペスグスマン(エクアドル)に10-0のテクニカルスペリオリティ勝ち。公式戦デビューからの連勝を137に伸ばし、家族の支えとともに王者となった。日本女子の今大会第1号の金メダルで、日本は女子が採用された04年アテネ五輪から6大会連続で頂点を確保した。

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全力だった。藤波が駆け出した。その先にはコーチの父俊一さん。「タックルにいこうかなと思ったんですけど」。違った。跳び上がった。そのまま抱きついた。「ぶつかり合うことだったり、けんかすることも本当に多かったんですけど、やっぱり父がいなかったらここにはいない」。父も「赤ちゃんの時以来かな。もう2度とないでしょう」という熱き抱擁を終えるとスタンドへ。今度は母千夏さんを抱き締めた。「ありがとうっていう思いを一番に伝えたかった」。この瞬間を家族で夢見てきた。

昨年の世界選手権準々決勝の再戦となった大一番で躍動した。0-5と劣勢に立たされた前回の姿はない。164センチの長身から長い手足で相手をコントロール。滑らかなタックルに、精緻なカウンターをさく裂させ、第2ピリオド開始37秒で大差で試合を終わらせた。「グスマン選手の存在は自分を奮い立たせてくれた」。試合後には「ありがとう」と伝えた。

逆境にこそ強くなる。ずっとそうだ。小学生の時は準優勝の表彰状を壁に貼り付けて泣いて奮起した。顔に大きなあざができれば「やっとレスラーの仲間入りや」。母は「そういうプラスに物事を考えていくんだな」と感心するが、娘に言わせれば「お母さんの方が前向き」となる。

この3月も同じだった。練習中に左肘を脱臼し靱帯(じんたい)を断裂した。「なんで今…。もうダメかも」とパリの灯が消えたと感じたこともあった。ただ手術を終えたベッドの上で頭を巡ったのはやはりレスリング。「(練習)できていた時より考えた時間だった」。日体大入学後は、娘のために教員を辞した父と東京で2人暮らしだった。窮地に春からは母が駆けつけ、3人暮らしになった。食事も充実したが、何より家族一丸が不安を消した。

父は「構えはしっかりして、ぶれなくなった」とパリの地に立つ娘を見つめていた。リハビリ期間に体幹を鍛えた成果もあるが、娘のレスラーの基本姿勢の美しさに目を見張ったのは4歳。競技を始めて初の試合だった。開始前30秒間、相手の少年とにらみ合った時、「きれいだなあ。バランスはたいしたもんだ」と見ほれた。「他の競技は全然できないのに、あれは天性のもの」。その感嘆と直感は、この日につながっていた。

「起きること全てに意味がある」。戦いを終え、藤波のその信念に大いなる実感がこもる。「あの経験というのは、今この瞬間を輝かせてくれるための経験だったんだなあ」と3月の大けがからの日々を思い返す。そばには最愛の人がいた。「オリンピック最高! レスリング最高!」。最高の家族とともに輝いた。

☆藤波朱理(ふじなみ・あかり)☆

◆生まれ、サイズ 2003年(平15)11月11日、三重県四日市市生まれ。164センチ

◆来歴 選手時代に国体優勝経験のある父のもと、4歳で競技を始める。高校は父が監督を務めるいなべ総合学園高へ。高3の21年世界選手権で初出場初優勝。23年大会も制してパリ五輪代表に内定。

◆呼称 世界で「ワンダーガール(驚異の少女)」と呼ばれる。

◆好物 減量で揚げ物やお菓子を自粛。100日前から冷蔵庫に「パリ金まで」と書いたカウントダウンの紙を張り、毎日めくった。決勝後に今食べたいものを聞かれ「焼き肉!」。

◆自然 「生まれ育ったのが自然がすごい田舎。自然のパワーを感じたい」と休日には奥多摩などへ。「車で友達と行ったり。川でBBQしたり」。

◆勝負曲 中学時代から試合前にはサザンオールスターズの「東京VICTORY」を聞いて士気を高める。