東京・小平市にあるブラインドサッカー専用コート。強い日差しの中、汗を流すのは日本代表の平林太一。17歳で代表入りを果たした若きストライカーだ。一見シャイにも見える穏やかな佇まいだが、ピッチに立てばまるで韋駄天。持ち前のスピードと空間認知力で…

東京・小平市にあるブラインドサッカー専用コート。強い日差しの中、汗を流すのは日本代表の平林太一。17歳で代表入りを果たした若きストライカーだ。一見シャイにも見える穏やかな佇まいだが、ピッチに立てばまるで韋駄天。持ち前のスピードと空間認知力でゴールへ突き進む姿に、観る者は惹きつけられずにいられない。


段違いのスピードと迫力に衝撃

「視覚障害者スポーツで、こんなに自由に走り回れるんだ! しかも接触がめちゃくちゃある!」 小学1年生でブラインドサッカーに出会ったときの衝撃は大きかったという。

目の病気が見つかったのは1歳。はじめに右の視力が欠け、4歳で全盲になった。「盲学校で他のスポーツにも触れましたが、ブラサカは段違いに迫力があるんですよね。スピード感もハンパじゃない。本当にすごいなって」

「でも親は心配だったと思います。幼い頃から走るのが大好きで、よくぶつかったり転んだりしてましたから。」生まれ育った長野県の生坂村は、自由に走れる環境にめぐまれていた。「怖いもの知らずに走り回ってたんです。」ブラサカはまさに、そのエネルギーを爆発させるための舞台だった。「自由にピッチの中を走り回れるっていうのは、小さい頃からすごく魅力的に感じたんじゃないかな。でもやっていくうちに、点を取ることで、すごく気持ちいいなって感じるようになっていきました」。そして幼い頃の経験が、大きな能力を育んでいた。


日本で一番長けている能力

「壁の位置を、音の反響で感じます」。ブラインドサッカーでは、ボールが両サイドを割らないように、壁が設けられている。選手は音を出し、その反響を聞くことで、周囲の状況を把握するのだ。「ぼくの場合、指を鳴らしたり、太ももをたたいたりして音を出しながら走ります。壁の位置を感じながらピッチの中を想像して、相手がここにいるからぼくはこっち行けばいいんだ、ってイメージしながらプレーできる」。こうしたすぐれた空間認知力は、どのプレイヤーにもあるわけではない。「ぼくも最初からあったわけじゃないんです」。幼いときの経験もあり、ブラサカをやっていくうちに、自然と身についた能力だと語る。「でも、これに関しては、ぼくが日本で一番長けているんじゃないかな、とは思ってます。はい」

中学に入り、才能が開花していった。「自分でも、ちょっとずつうまくなってきたなって感じるようになったんです。自信も出てきたし、もっと頑張りたいって気持ちが強くなりました」

なってみたら大変だった“日本代表”

日本代表には漠然と憧れていた。現実のものとしてパラリンピックを意識したのは高校生になってからだ。「最初は遠い存在でした。でも、中学を卒業して、国内の試合に出るようになって、自分の成長を感じられることも多くなって。そこから、もっと上を目指す気持ちが強くなりました」

そして2021年、15歳で念願の日本代表に選出された。「それまでは代表に選ばれることが夢だったんですけど、いやー、なってみたらそこからが本当に大変でしたね。ブラサカのレベルは世界的にも上がってきてて、パラリンピックに出るっていうだけでも難しいんだって」

大陸別予選のアジア選手権では、パリパラリンピックの出場権が取れなかった。「このときは本当に落ちこみました」。次のチャンスとなる世界選手権では、出場権を持っている国以外で上位3国に入らないとならない。「こんなにステップが多いのかと。ぼく、割と心が強くないんで、すぐに不安になっちゃうし、ネガティブに考えてしまうんです。でも、チームのみんなが、いつも励ましてくれて。だから、ここまであきらめずにやってこれたんだと思います」

世界選手権でパリ大会出場を決定づけたのは、対イラン戦だった。「1対0で勝ってて、残り11秒くらいで、向こうのフリーキックになって、自分たちでクリアして、あっちの陣地の方にボールが行って、で『あっ、これ決まったわ』ってなって。で、その瞬間もうすごかったっすね。みんなピッチに飛び出してたし、僕も叫びまくって、すごいもみくちゃな感じだったし、すごかったですね」


音楽とブラサカ、二つの情熱

普段は故郷、長野県のクラブチーム「松本山雅B.F.C.」に所属しており、日本代表の練習があるときは、父親に付き添われて東京に通う多忙な日々だ。サッカーに打ちこむかたわら、音楽の楽しみも必要だと言う。「サッカーだけだと、やっぱりしんどいときもあるんです。音楽は、ぼくにとってストレス発散、リフレッシュの場です。カラオケで歌ったり、バンドでライブをしたり。最近は、曲作りにも挑戦しています」。音楽で心を解放し、新たなエネルギーを充電している。

応援してくれる人に勝利を届けたい

そして、いよいよ迎えるパリパラリンピック。「やっぱり応援してくれる人のことを考えると奮い立つというか…」。ためらいがちに言葉を選ぶが思いは強い。「学校でポスター作ってくれたり壮行会開いてもらったりしました。SNSで応援の言葉をもらったり、友人も声をかけてくれて、メディアの方もすごく盛り上げてくれたりとか。山雅のサポーターさんたちの応援もすごく熱くて、こんないいところに所属させてもらってることが誇らしいというか…。それを考えると一番“やんないとな”って思います。絶対に勝利を届けたいって、強い気持ちになりますね」。モチベーションは上がっている。

「やっぱり決勝点を決めたい。一人一人仕事がある中で僕はそういう仕事なんで。欲しいときに、ちゃんと点を取れるようにしたいなと思ってます」。頼もしい言葉はまさにエースストライカーのそれだ。「パリでは、今までやってきたことをすべて出し切って、最高の舞台で戦いたい」

ブラインドサッカーのスタジアムはエッフェル塔の真下。世界中の観客の前で、ブラサカ界の韋駄天のゴールに注目だ。

【平林太一】

ひらばやし たいち●2006年10月3日生まれ、長野県生坂村出身。1歳のとき、網膜芽細胞腫が見つかり、4歳で全盲に。小学校1年生の時、日本ブラインドサッカー協会の普及事業「キッズキャンプ」に参加したのがきっかけで競技を始める。得意なのは、後ろからでもゴールまで持っていけるドリブル。17歳で日本代表に選ばれ、最年少メンバーとして活躍。パリパラリンピックでメダルを目指す日本代表。松本山雅B.F.C.所属。

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【越智貴雄】

おち たかお●1979年、大阪府生まれ。大阪芸術大学写真学科卒。2000年からパラスポーツ取材に携わり、これまで夏・冬、11度のパラリンピックを撮影。2004年にパラスポーツニュースメディア「カンパラプレス」を設立。競技者としての生き様にフォーカスする視点で撮影・執筆を行う。写真集出版、毎日新聞の連載コラム執筆に加え、義足女性のファッションショー「切断ヴィーナスショー」や写真展「感じるパラリンピック」なども開催。ほかテレビ・ラジオへの出演歴多数。写真を軸にパラスポーツと社会を「近づける」活動を展開中。