ファン投票2位でガールズドリームレースへの出場を決めた日野未来 photo by Yasuda Kenji【女子オールスター競輪に出場】 オールスター。それはどのスポーツにおいても人気、実力の両方を備えた者だけが上がれる栄誉ある舞台だ。もち…


ファン投票2位でガールズドリームレースへの出場を決めた日野未来

 photo by Yasuda Kenji

【女子オールスター競輪に出場】

 オールスター。それはどのスポーツにおいても人気、実力の両方を備えた者だけが上がれる栄誉ある舞台だ。もちろんガールズケイリンにおいても例外ではない。

 8月13日(火)からファン投票上位者が集う「女子オールスター競輪」が開催される。昨年までは「ガールズケイリンコレクション」として、ファン投票上位7選手が出場する「ガールズドリームレース」と、8〜14位が出場する「アルテミス賞レース」が実施されていたが、今年から名称を改めて、ファン投票上位14選手によって3日間のシリーズ制で開催される。その投票で2位に入り、出場を決めたのが日野未来(奈良・114期)だ。

「本当にうれしく思っています。昨年までのガールズケイリンコレクションも投票で選手が決まっていて、上位は強い人ばかりが選ばれていましたので、この1年、常に3位以内で確定板に名前が載るように頑張ってきました。そして、(自分が走るレースで)ファンの人も一緒に盛り上がってくれているのを感じられるようになったタイミングで投票が始まったんです。私とファンのみなさんの気持ちが通じ合ったことを感じられる投票結果でした」

 これで初日(13日)に、投票上位7選手によって行なわれる「ガールズドリームレース」への出場も決まった。その人気の理由は、関連イベントなどでの露出の多さだけでなく、強さが伴ってきたからこそ。近年は着実に成績を上げており、昨年から新設されたGⅠ開催に何度も選出されて1着も獲得。今年に入り、通算100勝も果たした。

「勝てるようになってきたのは自分から仕掛けるようになったから。思いきり仕掛けてそれで負けるのであれば、ファンのみなさんも納得してくれると思うんです。そして強い人がいても意識することなく、自分が勝つためにはどうしたらいいかだけを考えて乗るようになってから、少しずついい結果が出るようになってきました」

 そう語る日野の表情には、レーサーとしての自信が滲む。



着実に実力を上げている日野

 photo by Takahashi Manabu

【行動力と集中力】

 ガールズケイリンは自転車競技経験者だけでなく、ほかのスポーツを経験した選手も転向して活躍しているが、そのなかにあって、日野未来は元グラビアアイドルという異色の経歴を持つ。学生時代までさかのぼっても運動経験はないが、競輪はひと目見た瞬間からその魅力に取りつかれた。

「もともと公営競技が好きで、競馬などいくつもの競技を見ていましたが、競輪だけはずっと見たことがなかったんです。そんな時に仕事で競輪場に呼ばれて見たら、ハマってしまって」

 なかでもガールズケイリンを代表する選手のひとりである奥井迪(東京・106期)の走りは、日野の心に火をつけた。奥井のスタイルは先行。残り周回が少なくなると誰よりも先に仕掛け、そのまま逃げきって勝利を重ねてきた。その姿を見て、感じるものがあった。

「強さ、カッコよさに驚くと同時に、なんでほかの選手は誰も抵抗しないんだろうって思ったんです。今、選手になってみるとそれが簡単ではないことがわかるんですけれど(笑)。でも当時は、奥井さんのように先行する選手になりたい、そして私がレースを盛り上げたいと思い、ガールズケイリンの選手になろうと決めました」

 そこからは行動あるのみ。競輪を開催する施行者に問い合わせ、奈良競輪場へ出向き、男子選手の佐藤成人(奈良・71期)へ弟子入りを志願。その翌日に自転車の乗り方から学び始めた。

 そのうえで、まずは日本競輪学校(現・日本競輪選手養成所)への入学が目標となった。それ自体が決して簡単ではないことに加えて、同校は当時、高校卒業か、同程度の学力を有していることが応募資格のひとつとしており、芸能活動を理由に高校を退学していた日野は、高等学校卒業認定試験をクリアする必要があると考えた。

「自転車の練習も勉強も本当に大変でした。どちらもこんなに頑張ったことはないというくらい頑張って、1回も楽しいと思うことはなかったです。とくに高卒認定を取るためには自分ひとりでは無理だと思って、1カ月だけそのための学校に通って、集中して取り組んだんですよ。私の武器は行動力と集中力なんです」

 日野はそう言って笑う。所属事務所を退社し、2016年秋に日本競輪学校を受験。そして見事に合格し、翌年に入学を果たした。24歳のことである。


運動経験がない状態からガールズケイリンの選手を目指した

 photo by Yasuda Kenji

【プロ入り後の苦闘】

 競輪学校では順調に力を伸ばした。学校内の記録会には基準タイムがあり、そのなかでも最高レベルのタイムをクリアすると『ゴールデンキャップ』という金色の帽子が授与されるが、ガールズケイリンでは歴代4人目となるその栄誉も手にした。ここでの成長の要因は、日野の持つ周りから学ぶ力、吸収力だった。

「柳原真緒さん、佐藤水菜さんなど、スポーツ経験がめちゃめちゃすごい人が同期にいました。体つきも走り方も自分とはまったく違いましたし、考え方がすでにできあがっていたことにも驚きましたね。自分より年下でしたが、スポーツをやっている人のメンタルってこんな感じなんだ、ということを知り、それが緊張感になって、集中力を高めることができました。そしてずっと周りの選手を見て、いいところを吸収しようとしたのがうまくいきました」

 しかし、簡単には勝てないのがプロの世界。2018年7のプロデビュー後は初勝利こそ早かったものの、苦戦が続いた。

「今思えば、先行したいって気持ちが強すぎたんだと思います。でもそれで、3着以内に入らなければ、意味がないことに気づきました。自分のやりたいレースをしただけでは公営競技の選手として失格なので、それが恥ずかしかったです」

 下位に沈むレースが続いたこともある。グラビアアイドルからの転身というキャリアから、色物扱いするコメントもネット上には見られたが、「へこたれる暇もないほど必死すぎて、そうしたものも目に入らなかった」と、ひたすら脚力を鍛え続けた。これも日野の集中力だろう。

 出稽古として日本各地に足を運び、尾崎睦(神奈川・108期)、児玉碧衣(福岡・108期)といった先輩選手にもアドバイスを仰いだ。競輪では代謝制度という年間を通じて下位の成績の者が自動的に引退に追い込まれる仕組みがある。そこから逃れるために必死だった。

 同時に高木真備(2022年に引退)、児玉などガールズグランプリを制した選手の動画を徹底的に見て研究し、レース展開のバリエーションも増やしていった。周りの選手は何を考えながら走っているか、メンタルの探り合いまでシミュレーションするようになり、それにつれてレース内容も改善され、勝利につながるようになった。ここでも日野の学ぶ力が発揮されたのである。

【目指すのは美しくて強い選手】

 苦境から這いあがり、トップ選手として女子オールスター競輪を戦うまでになった。もう日野を元グラビアアイドルという先入観を持って見る者はほとんどおらず、ひとりのレーサーとして勝利を求められる厳しい視線だけが注がれるようになった。そして、日野自身もいかにして勝つかを突き詰める日々を送る。

 そんな今の自分のスタイルを言葉にするとしたら? こう問いかけると、キッパリと言った。

「競輪学校の校長の滝澤正光先生の言葉で"一歩踏み込め、そこは極楽"というものがあります。自分がここだと思った勝負どころではどんなにキツくても、踏み込んでいった先に勝利が見える。それを実践するのが今のスタイルです」

 ダッシュ力の源は、太さが43cmはあるというふくらはぎの筋肉。日野曰く、ガールズケイリン界でもトップの大きさを誇るまでに発達している。今後もフィジカルの強さに磨きをかけると同時に、メンタル面の強化も進めていくつもりだ。

鍛え上げられたふくらはぎの太さは、驚異の43cm

  photo by Yasuda Kenji

「私はグラビアをやっていた時から、競争心があまりないタイプなんです。でもこの世界でもっと勝ち上がっていくためには、ライバルに負けないという強い気持ちを持たないと。それが、これからの課題です」

 今もファンとして公営競技には足しげく通い、なかでもばんえい競馬はお気に入りだ。その競走馬がサラブレッドより大きな体躯で、かつ、つぶらな瞳を持つところに惹かれた。

「かわいくてムキムキというのは、まさに私の目指す姿。美しくて強い女性になり、ガールズケイリンを盛り上げたいというのが私の一番のモチベーションです。観てくれる方に楽しんでもらえるように、もっともっと強くなりたいですね」

 これからもファンとともに。日野は多くの人に愛されるレーサーを目指し続ける。

【Profile】
日野未来(ひの・みらい)
1993年1月26日生まれ、大分県出身。16歳から地元九州でアイドルとして活動し、上京後はグラビアアイドルとして活躍した。競輪関連の仕事をきっかけに選手を目指し、24歳で日本競輪学校(現日本競輪選手養成所)に入学。2018年、25歳でデビューを果たす。2022年までの勝率は17.0%だったが、2023年は36.4%、2024年(8月5日現在)は39.1%と上昇。女子オールスター競輪のファン投票では2位となり、ガールズドリームレースへの出場を決めた。