<こんな人>男子フルーレ団体がパリ五輪で初の金メダルを獲得した。松山恭助(27=JTB)飯村一輝(20=慶応大)敷根崇裕(26)永野雄大(25=ともにネクサス)がイタリアに勝利。過去2度の表彰台は銀だった男子フルーレで、ついに頂点に立った。…

<こんな人>

男子フルーレ団体がパリ五輪で初の金メダルを獲得した。松山恭助(27=JTB)飯村一輝(20=慶応大)敷根崇裕(26)永野雄大(25=ともにネクサス)がイタリアに勝利。過去2度の表彰台は銀だった男子フルーレで、ついに頂点に立った。

   ◇   ◇   ◇

雄大君、金メダルおめでとう! まさか自分の親戚が金メダルを獲得する日が来るとは夢にも思いませんでした。雄大君が2歳ぐらいの頃、バルセロナ五輪代表の父義秀さんの家に何度か遊びに行きました。雄大君はミニカーに夢中。当時はコンパクトなヴィッツを好み「ビ~ッツ」と連呼してました。ベンツやクラウンではなく、当時お父さんが乗っていた、かわいらしい車が大好きでした。

リザーブの立場で耐えながら、チームを救う5連続ポイント。脇役からの大活躍に、高級車には目もくれず“庶民派”ヴィッツで、ひたむきに遊ぶ幼少期の姿を思い出しました。緊張する場面でも、ブレずに前に出る姿はかっこよかった。

お父さんの義秀さんはフェンシングも当然、強かったのですが、実はプラモデルづくりも天才的で、ギターを弾かせても上手。運動神経が良く、リズム感も素晴らしく、さらに手先が器用。そんなスーパー遺伝子が、雄大君にも受け継がれたのかも知れません。

記者も大学までフェンシングをやっていましたが正直、雄大君のようなレベルには、まったく達しませんでした。限界を感じスポーツ新聞社に入社。新人時代はフェンシングをいつか人気競技に…なんて思っていましたが、主に取り扱われるのは野球にサッカーに競馬。自身もサッカーや野球の担当を続けるうちに、当初の目的はすっかり忘れておりました。

08年北京五輪で太田雄貴選手の成田からの出発取材に顔を出すと、来ていたのは新聞2社だけ。銀メダルを獲得して帰国すると大勢のメディアが出迎えるまでに。それから16年。こんなにメダルを獲得できる競技になったことも、びっくりです。【永野選手の父義秀さんのいとこ、プロ野球日本ハム担当=永野高輔】