ジェンソン・バトンや小林可夢偉の参戦で例年以上に注目を集めたスーパーGT第6戦「インターナショナル鈴鹿1000km」。8月27日に行なわれた決勝レースでは、中嶋悟総監督が率いるナンバー64のEpson Modulo NSX-GT(ベル…

 ジェンソン・バトンや小林可夢偉の参戦で例年以上に注目を集めたスーパーGT第6戦「インターナショナル鈴鹿1000km」。8月27日に行なわれた決勝レースでは、中嶋悟総監督が率いるナンバー64のEpson Modulo NSX-GT(ベルトラン・バゲット/松浦孝亮)が優勝を飾った。



「最後の鈴鹿1000km」でトップを快走するナカジマレーシング

 鈴鹿サーキットで行なわれる真夏の耐久レースとして定着していた鈴鹿1000kmだが、来年から新しく「鈴鹿10時間耐久レース」がスタートすることに伴い、1966年から開催される伝統の耐久レースは今年が最後。スーパーGTの鈴鹿ラウンドも5月に移動し、来年からは通常の300kmレースとなる。

 その「最後の鈴鹿1000km」を制したのは、ナカジマレーシングだった。日本人として初めてF1フル参戦を果たした中嶋悟が総監督を務め、国内のさまざまなレースカテゴリーに古くから参戦。スーパーGTのシリーズに組み込まれる前の鈴鹿1000kmにも挑戦していたほど、歴史の長いチームだ。フォーミュラ・ニッポン(現スーパーフォーミュラ)では合計4度のチーム・ドライバーズタイトルを獲得。だが、スーパーGTではなかなか好結果を得られずに苦戦が続いていた。

 今年は来日4年目となるベルトラン・バゲット(ベルギー)と、かつてインディカーシリーズに参戦していた松浦孝亮のコンビで挑戦。序盤戦は苦しいレースを強いられていたが、徐々に調子を上げて第4戦のSUGOで8位入賞を果たした。そして迎えた第6戦・鈴鹿。獲得ポイントが少ない分、軽いウェイトハンデで臨めたこともあって、ナカジマレーシングは予選4番手を獲得する。

 気温30度を超える真夏日となった日曜日、決勝レースはトラブルやアクシデントが続出した。上位を争っていたマシンが予想外のトラブルに見舞われ、次々と脱落していく。そんななか、ナカジマレーシングの64号車はミスやトラブルのない安定した走りで周回を重ね、123周目にトップに浮上した。

 序盤からトップを快走していたナンバー17のKEIHIN NSX-GTがタイヤトラブルでリタイアを余儀なくされたこともあり、レース終盤の64号車は後続に10秒以上の大量リードを築きながらの走行となる。そして最終スティントも松浦がしっかりとまとめ上げ、チームとしては実に2007年の最終戦・富士以来となる10年ぶりの優勝を成し遂げた。

「10年ぶりというよりも、最後の鈴鹿1000kmで勝てたというのがうれしいですね」

 レース後に中嶋総監督は、ようやく安堵の表情を浮かべた。鈴鹿1000kmはかつて自身もドライバーとして参戦しており、1985年には関谷正徳や星野薫と組んで2位表彰台を獲得している。

「我々のころはグループCカーで戦っていて、暑くて大変という思い出があります。シーズンのなかでも一番厳しいレースを勝てて最高ですね」

 また、ドライバーのふたりにとっても、特別な勝利となった。来日4シーズン目で待望のスーパーGT初勝利となったバゲットは満面の笑みを見せていた。

「ナカジマレーシングに来て4年間走ってきたけど、振り返ればつらいことばかりだった。でも、中嶋総監督はプレッシャーをかけることなくずっとサポートを続けてくれて、チームもホンダのスタッフも一生懸命やってくれた。感謝しているよ。本当に優勝したことが、まだ信じられない!」

 今季からナカジマレーシングに加わった松浦は、これまでの苦労を思い出してか、記者会見では涙を見せるシーンもあった。

「まだ、実感が湧いてきません。いろんなことが込み上げきて……。昨年ARTAを離れることになって、長い間お世話になった(鈴木)亜久里監督に結果で恩返しできなかったですし、ホンダさんにはインディカーシリーズまで参戦させていただいたのに、大した結果を出すことができなくて。でも、今回優勝できたことで、レーサーとしてやっていけるんだなと自信を持つことができました」

 最後の開催となった鈴鹿1000kmは、それを飾るのにふさわしい感動的なフィナーレとなった。

 一方、このレースウィークでもっとも注目を集めていたジェンソン・バトンはどうだったか。ナンバー16のMOTUL MUGEN NSX-GTのドライバーとしてスポット参戦したバトンをひと目観ようと、土曜日から多くのファンがTEAM MUGENのピット裏に詰めかけ、彼が移動すると至るところでサイン攻めにあっていた。

 テストのときからチームの絶大な信頼を得ていたバトンは、なんと予選Q1を任されることになる。本人も予想外だったようだが、快諾してマシンに乗り込み、Q2進出に向けてタイムアタックに臨んだ。ただ、コース前半セクションでは好タイムを記録していたものの、途中でタイムアタック前の他車に引っかかってしまいタイムロス。これが大きく響き、0.089秒差でQ2進出を逃した。

「デグナーカーブで日産GT-Rの1台に引っかかってしまった。あれがなければ、間違いなくQ2に進めた」

 1レースのみのスポット参戦ながら、真剣に取り組むバトンの悔しがっている表情が印象的だった。

 そして翌日の決勝も、元F1チャンピオンにとっては厳しいレース展開となった。25周目に1回目のピットストップを行ない、中嶋大祐からバトンにドライブが託されたが、ピットアウトの際に後方からピットインしてきたGT300クラスのマシンと交錯。バトンはすぐにブレーキをかけて接触を免れたものの、ピットレーンを走る車両を妨害したとしてドライブスルーペナルティを受けることになった。

「ペナルティをもらったときは、少しフラストレーションがあったね。それまでは3番手を走っていたんだから。それがなければ、もっといい1日で終わっていたかもしれない」

 バトンの不運はさらに続く。43周目に起きたアクシデントで導入されたセーフティカー中に他車を追い越したとして、2度目のドライブスルーペナルティを受けることに。その結果、表彰台圏内から一転して12番手まで後退してしまった。

 その後も武藤英紀が担当するスティントでタイヤトラブルに見舞われるなど、TEAM MUGENの苦戦は終わらない。バトンは夕方に差しかかるレース後半の116周目からふたたび乗車し、1分53秒台のラップタイムを連発してライバルと遜色ないペースで周回を重ねるも、135周目に右フロントタイヤがパンクして緊急ピットイン。ここで武藤と交替となり、バトンの初めてのスーパーGTは合計40周を担当して終了した。

 不運続きのレースとなってしまったTEAM MUGENは、最終的にトップから2周遅れの12位でフィニッシュ。ポイント獲得とはならなかった。ただ、ラップタイムを振り返ってみると、バトンのペースは武藤や中嶋にまったく劣っておらず、初体験となったGT300との混走でも安定した走りを披露していた。

「タフな1日だった。レース中は考えることがいっぱいあって。GT300を何度もオーバーテイクしながら、GT500と戦うことに頭と神経を使った。『なんでこんなにサーキットに車がいるんだ!』って感じだったよ。まあ、それが楽しかったわけだけどね」

 気になる来季の参戦については、「まだわからない。参戦するかもしれないし、他のレースになるかもしれない。でも、わかっていることは、この週末がただただ楽しかったこと。スーパーGTとホンダ、TEAM MUGENを応援してくれるたくさんのファンに出会えたことがすばらしかったよ」と語った。

 準備期間が少ないながらも、バトンは「さすがF1ワールドチャンピオン」と思わせる実力を存分に見せてくれた。ぜひとも来年はシーズンを通して参戦し、より高いレベルの走りを日本のファンに見せてもらいたいところだ。