<パリオリンピック(五輪):フェンシング>◇28日(日本時間29日)◇男子エペ個人◇決勝◇グランパレ【パリ=木下淳】本場で歴史を塗り替えた。元世界ランキング1位で現3位の加納虹輝(26=JAL)が日本の個人初となる金メダルを獲得した。21年…

<パリオリンピック(五輪):フェンシング>◇28日(日本時間29日)◇男子エペ個人◇決勝◇グランパレ

【パリ=木下淳】本場で歴史を塗り替えた。元世界ランキング1位で現3位の加納虹輝(26=JAL)が日本の個人初となる金メダルを獲得した。21年東京五輪で「エペジーーン」こと男子エペ団体の一員として悲願の金メダル。3年後、決勝で地元フランスの英雄を破って「個ジーーン」でも最高の勲章を手に入れた。競技を始めるきっかけになった08年北京五輪で、男子フルーレ太田雄貴が獲得した銀メダルを上回った。

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加納が、日本になかった個人の金メダルをもたらした。決勝に進出した時点でエペ個人では初のメダルを確定させていたが、そこは元世界1位だ。銀では満足できない。決勝でフランスのヤニク・ボレル(35)と対戦。競技発祥国の1つで超満員の完全アウェーだったが、第2ピリオドを終えて9-5とリード。日本勢の見延和靖、山田優を破ってきた開催国のエースに15-9で快勝し、最後はブーイングではなく拍手が送られた。本家に認められた。

「3人目も負けるわけにはいかないぞ、と気合で勝ちにいった。歓声が初めてくらい大きかったけど、ボレル選手に勝ったわけですからね。認めてもらわないと困る」と笑顔を見せた。

東京五輪で団体、パリで個人と金2個をそろえた。違いを問われると「団体はみんなで喜べる。孤独感はある」とおどけつつ「個人はもう僕だけの実力。自信につながる。自分の考え方が間違っていなかったことがうれしい」と納得した。

決勝は加納の真骨頂だった。ボレルは196センチ、95キロの巨漢でリーチやストライドで上回る。173センチ、64キロの加納はスピードと正確な技術で渡り合った。開始1分は0-0と探り合いも、素早い剣さばきと鋭い踏み込みで勝負。フランス語で矢を意味する、一気に飛び込む突き「フレッシュ」でポイントを重ねた。それは世界最速とも言われ、矢ではなく「弾丸」とも称される速さ。正確性は、自宅で5円玉をつるして突いた幼少時から磨いてきた。

1900年パリ万博の会場グランパレ。壮観の歴史的名所で勝利し「すごく感慨深い」と余韻に浸った。幼少時は寺本明日香らを輩出した体操クラブで、自負する体幹を築いた。08年北京五輪の太田に憧れて鉄棒から剣に握り替え、留学先の高校2年時にエペ転向。早大時代から日本のアンカーを任されてきた逸材が、世界一になった。パリへ飛ぶ前も「今、人生の中で最も実力がある。団体も個人も金メダル」と2冠を宣言していた男は「もう団体に切り替えた」。1冠は団体2連覇の序章に過ぎない。

◆加納虹輝(かのう・こうき)1997年(平9)12月19日、愛知県あま市生まれ。山口・岩国工高-早大。在学中の19年にW杯で初優勝して話題に。20年に日本航空入社。22年世界選手権は団体で銅メダル。23年杭州アジア大会は個人と団体2冠に輝いた(団体は2連覇)。右利き。家族は両親、姉、弟。血液型A。