8月21日から26日までフランス・パリで開催されたレスリング世界選手権。世界レスリング連盟のアスリート委員として現地に赴(おもむ)いた五輪4連覇の「絶対女王」伊調馨(ALSOK)に、オリンピック翌年に行なわれる世界選手権の意義、日本女…
8月21日から26日までフランス・パリで開催されたレスリング世界選手権。世界レスリング連盟のアスリート委員として現地に赴(おもむ)いた五輪4連覇の「絶対女王」伊調馨(ALSOK)に、オリンピック翌年に行なわれる世界選手権の意義、日本女子選手の活躍ぶり、そして世界の勢力図について話を聞いた。
世界選手権でパリを訪れた伊調馨に話を聞いた
「さすがフランス、パリ! 会場の施設も運営もすばらしい大会でしたが、驚いたのは警備の厳重さです。試合会場に入る際は何度もパスやチケットのチェック、荷物・身体検査が行なわれ、選手、関係者、観客、記者やカメラマンの方々、それぞれの立ち入りエリアは完全に分けられていました。
お互い顔を覚えて挨拶をかわすようになった警備スタッフでも、チェックの厳重さは最終日まで変わりませんでしたね。『そこまでやるのか』とは思いましたが、ヨーロッパでテロが続いている状況を考えれば、それも仕方なしでしょう。むしろ選手たちは治安を心配していたので、安心して伸び伸びと戦えたと思います」
リオデジャネイロオリンピックから1年。今回の世界選手権を見てみると、階級を変更してきた選手、ケガの回復などで休養中の選手、さらに女子の場合は出産のために欠場した選手など、1年前のオリンピック上位入賞者の近況はさまざまだ。オリンピック翌年に行なわれる世界選手権の意義について、伊調は次のように説く。
「世界選手権が一番盛り上がり、もっとも厳しい戦いとなるのは、もちろん出場権がかかるオリンピック前年です。逆に、オリンピック翌年は実力のある選手が全員揃うわけではありませんし、特に今回は来年からの階級変更(日本は年末の全日本選手権から変更予定)が決まっていて、まだ手探り状態ということもあるでしょう。それでも、出場するからにはしっかり結果を残さなければなりません。
ましてや、世代交代を狙う若手は掴んだチャンスを確実にモノにし、次のオリンピックに向けての国内選考争いで一歩も二歩もリードしたいところです。特に日本の場合は次のオリンピックが地元開催ですので、『もう戦いは始まっている』という雰囲気が強いですから。
今大会で日本女子は金メダル4個、銀メダル1個、銅メダル1個を獲得し、強さを世界に見せつけました。残念ながら目標としていた『全員メダル獲得』とはなりませんでしたが、世界の女子レベルも年々上がってきているなか、上々の成績だったと思います。
女子の試合が行なわれる前に、男子グレコローマンスタイル59キロ級で文田選手(健一郎/日体大)が金メダル――それも世界選手権では日本男子34年ぶりの快挙を成し遂げ、勢いをつけてくれたのが大きかった。あれで女子選手たちは、『よし、自分もあの金メダルを獲るんだ。ヒーローインタビューを受けるんだ。日の丸を上げるんだ』という気持ちになったでしょう。
日本女子はロンドンオリンピックまで世代交代がまったくと言っていいほど進まず、アテネ・北京・ロンドンの3大会に出場したのは私と姉の千春、日登美先輩(小原)、沙保里さん(吉田)、浜ちゃん(浜口京子)の5人だけ。リオになってようやく絵莉(登坂/東新住建)や梨紗子(川井/ジャパンビバレッジ)、沙羅(土性/東新住建)が出てきて、そろって金メダル。ようやく世代交代が始まりましたが、私も沙保里さんも出ていない今大会でそれが一気に加速したのが最大の収穫だと思います。
ただ、さきほど挙げた私たちが誰ひとりとして国内で負けているわけではないことは問題だと思います。若い選手が先輩を倒して上がっていくのは当たり前。上が元気なうちに挑戦して倒してほしかったし、これからの選手にはぜひそうしてほしいですね」
今大会で金メダルを獲得した日本女子は、オリンピック金メダリストの2名(川井梨紗子・60キロ級/土性沙羅・69キロ級)と、世界選手権初出場だった18歳の2名(須崎優衣・48キロ級/奥野春菜・55キロ級)。出場した世界選手権・オリンピックすべてで優勝している伊調は、リオ金メダリストの戦いをどう観たのか。
「梨紗子も、沙羅も、優勝して当たり前。プレッシャーはあったでしょうが、大会前から『オリンピックチャンピオンとして負けるわけにはいかない』という気迫が伝わってきました。梨紗子は決勝戦でもテクニカルフォール勝ち。攻撃の幅が広がったと同時に、技の連係もよくなりました。
一方で沙羅は初戦、慎重になり過ぎましたが、その後は失点ゼロ。肩の負傷をまったく感じさせない堂々とした戦いぶりで、課題としていたディフェンス力が格段に進歩しました。タックルという武器があるので、安定した戦いができるのでしょう。
私は世界選手権での優勝がオリンピックより先でしたが、2002年のギリシャ・ハルキダで優勝したとき、『10年ぐらい、このチャンピオンの座は渡したくない』と思ったものでした。その大会で沙保里さんも初めて世界を制し、結果的にそれからふたりともずっと勝ち続けましたが、同じスキルのままでは連覇はできない。ライバルたちが必死で追い上げ、研究してくるわけですから。梨紗子も沙羅も十分わかっていると思いますが、これまでの何倍も練習して2020年まで勝ち進んでほしいです」
今回の世界選手権で奥野春菜(至学館大)や須崎優衣(JOCエリートアカデミー/安部学院高)が優勝すると、「18歳での世界制覇は伊調馨以来」と報じられた。また、JOCエリートアカデミー生初の快挙を達成したスーパー高校生・須崎は「体幹や足腰が強くてバランスがよく、パワーがある」と評され、”伊調2世”との呼び声も高い。ただ、伊調はふたりにエールを送るとともに、厳しい意見も述べた。
「春菜はイタリア戦、アメリカ戦ともに8-0。準決勝のブルガリア戦も11-0のテクニカルフォール勝ちで危なげない戦いをしていましたが……優勝した選手に対して偉そうなことを言って申し訳ないのですが、もっと暴れてほしかった。圧勝、圧勝でいくような。落ち着きすぎているようにも見えました。25~26歳でもできるレスリングというか。非常に能力の高い選手なので、『もっといけ!』と。そうしたほうが得るものも大きいはずです。
優衣はすごい。私なんかよりずっとずっとうまい。でも、だからこそ、もっとやってほしい。『優勝します』と公言してきたので、プレッシャーは相当あったでしょう。ただ、以前のほうが積極的だった気がします。確かに(積極的になることで)怖い部分もありますが、これから勝ち続けるともっと苦しくなるから、『今、やれ!』です。
全体的に日本人選手はレスリングのうまさもさることながら、スタミナがある。今大会でも後半バテバテの外国人選手がいましたが、日本人選手は常に動き、攻撃していました。私たちもそうでしたが、栄(和人)強化本部長(至学館大監督)のもと、よく練習して鍛えられています。監督やコーチが一切妥協しない。いやぁ、ホント、日本の練習は世界一厳しいですからね」
世界選手権では女子と、男子の2スタイル(グレコローマン/フリー)それぞれで国別対抗得点が争われるが、日本女子は60点をマークし、2位のベラルーシ(38点)に大差をつけて4大会連続で優勝。3位はアメリカで、以下はモンゴル、トルコ、カナダ、中国、ルーマニアという結果だった。
「55キロ級の決勝戦にナイジェリアの選手が勝ち上がってきました。春菜が苦戦したことからもわかりますが、手足の長さ、瞬発力、パワーなど、とても高い潜在能力を感じました。私は前々から『自分が負けるとすれば、レスリングは粗削りでも、アフリカなどのずば抜けた身体能力を持つ選手」と言ってきましたが、まさにそんな選手。これからが楽しみというか、脅威になるでしょう。
逆に今回は国別対抗得点で、これまで上位の常連だったロシアやウクライナなどが入ってきませんでした。一方でベラルーシが2位となり、強化が進んでいる国とそうではない国に分かれた印象です。東京オリンピックまで3年、女子もまだまだレベルが上がるので、これからも勢力図は大幅に塗り替えられていくでしょう」
そして最後に、自身のことについて話を聞いた。
「6日間、とっても楽しかったです。毎朝、大好きなクロワッサンを食べてから会場へ行き、10時から21時ごろまでずっとレベルの高い試合を観ることができて。こんな生活がずっと続けばいいなぁと。自分が戦ってきた道、若かったころのことを何度も思い出しました。
今はレスリングの技術だけでなく、メンタル面や栄養面、トレーニング、指導法などさまざまなことを勉強中ですが、やっぱり大会を生で観るのが一番。『あのマットに立ちたい』とまではいきませんでしたが、レスリングって本当におもしろい。ますます好きになりました」