試合後の囲み取材が終わり、報道陣の輪が解けると、昴学園の東拓司(ひがし・たくし)監督はこちらに向かって苦笑を浮かべた。「わざわざ遠いところを来てもらったのに、すみませんでした」 そう詫びたあと、続けてこう聞いてきた。「強くなりそうな雰囲気…

 試合後の囲み取材が終わり、報道陣の輪が解けると、昴学園の東拓司(ひがし・たくし)監督はこちらに向かって苦笑を浮かべた。

「わざわざ遠いところを来てもらったのに、すみませんでした」

 そう詫びたあと、続けてこう聞いてきた。

「強くなりそうな雰囲気は感じました?」

 昴学園は7月19日のこの日、夏季三重大会2回戦で海星に1対2と惜敗していた。

 そして東監督から逆質問を受け、私は6年前を思い出していた。その時も、東監督は私に向かってこう聞いてきた。

「なんで白山が甲子園に出られたんやと思います?」


昨年4月に白山高校から昴学園に赴任した東拓司監督

 photo by Kikuchi Takahiro

【昨年4月に異色の公立校に赴任】

 2018年夏、東監督が率いる白山は三重大会を勝ち上がった。岡林勇希(現・中日)、田中法彦(元広島/現セガサミー)を擁する菰野を3回戦で破ると勢いに乗り、あれよあれよと甲子園初出場を決めてしまった。

 その2年前には10年連続三重大会初戦敗退という不名誉な惨状に沈んでいた白山が、なぜ甲子園に出られたのか。興味を持った私は関係者に取材して回り、一冊の本にまとめた。書籍のタイトルは『下剋上球児 三重県立白山高校、甲子園までのミラクル』(カンゼン)だった。

 いくら取材を重ねても、白山がなぜ甲子園に出られたのかはわからなかった。それでも、白山の生徒たちの愛すべきキャラクター性と、奇跡としか言いようがないストーリー性もあいまって、手応えのある作品に仕上がった。

 その後、TBSから「『下剋上球児』を原案としたテレビドラマをつくりたい」という申し出を受けた。実力派俳優・鈴木亮平が主演を務めた日曜劇場『下剋上球児』は昨秋に3カ月にわたって放送されている。

 あくまでも原案書籍はノンフィクションで、ドラマは書籍からインスピレーションを受けたフィクションである。それでも、多くの人が「東拓司=鈴木亮平」という目で見たはずだ。ドラマオリジナルの「とある設定」の影響もあって、東監督は日常的に教員免許のコピーを胸に忍ばせながら生活していたという。

 東監督は「ドラマをきっかけに本を読んでくれる人が増えたらいいですよ」と笑っていたが、誰も味わったことのない感情を抱いていたのかもしれない。

 東監督と何度かドラマ撮影の見学に行くこともあった。数千人規模のエキストラを動員する大規模な撮影に圧倒されるなか、同行した関係者があきれたようにつぶやいた。

「東は本当にぶっ飛んでるよ。こういう場でも、いつもと何も変わらんもん」

 それは私も感じていたことだった。右を見ても左を見ても大物俳優がいる非日常的な空間であっても、東監督はいつもと変わらず人懐っこい笑顔でふるまった。どんな環境でも結果を残してきた、東監督の本質に触れたような気がした。

 東監督は2023年4月に異動になり、白山から昴学園に移っている。昴学園は生徒のほとんどが寮生活をする異色の公立高校である。校舎がある三重県南西部の多気郡大台町は、町全域が生物多様性の保護を目的としたユネスコエコパークに登録されている。そんな自然豊かな高校の野球部は、16年連続で夏の三重大会初戦敗退と白山以上の弱小校だった。

 赴任当時、東監督はこんな思いを語っている。

「5年前になんで白山が甲子園に行けたのかはいまだにわからないですけど、もう1回行くことで『まぐれやない』と証明したいんです」

 赴任2年目となる今春は、県内を代表する名門・三重高をコールドで倒し、春のセンバツ帰りの宇治山田商を破る快進撃。三重大会3位と結果を残し、夏のシード権を得た。東監督を慕って30人近い1年生が入部し、部員数は60人を超えた。昴学園は1学年の定員が80人の小規模校だけに、その割合は校内で突出している。

 昴学園の若宮一哉校長は苦笑交じりにこんなエピソードを教えてくれた。

「夏の大会に向けて学校で壮行会をやったんですけど、野球部が壇上に上がると途端に(生徒が座っている場所が)スカスカになってしまうんですよ」

 といっても、全国から有望な選手が集まってくるわけではない。ベテラン指導者の冨山悦敬コーチは言う。

「中学時代にトップレベルだった子なんてほとんどいないし、大台町で育成してるようなもんやで。でも、家族みたいなもんやから、それがええんやないかな。県外から来た子でも、町の人が『若い子が来てくれた』と温かく迎えて、応援してくれるしね」

 ちなみに冨山コーチは、6年前の三重大会決勝戦で白山と対戦したライバル校・松阪商の監督だった。言わば鈴木亮平が演じた南雲脩司と松平健が演じた賀門英助が新天地でタッグを組んで、甲子園を目指しているようなものである。

【下剋上に必要なこと】

 主将を務める青木大斗は、愛知・知多東浦シニア時代には2番手捕手だった。昨年秋に取材した際には、何度も「自信がありません」と繰り返す姿が印象的だった。

 そんな青木も、今夏にかけて急成長を遂げていた。冨山コーチが明かす。

「青木に関しては、東くんと言うとったんよ。『あいつは120パーセントになったな』って。バッティングがようなって、本人も『自信があります』って言うとったからね」

 下位打順を打つことが多かった青木だが、海星との試合では「5番・捕手」で先発出場。3打席目にはセンター前へクリーンヒットを放ったほか、2四球を選んで3回も出塁している。

 青木は、こんな実感を口にした。

「最後の夏が近くなってきて、『今までやってきたことを出しきろう』と思ったら、最近になっていきなり打てるようになりました。それまでは不甲斐ないプレーばかりしていて、東先生から厳しい言葉をかけられていたんですけど、最後の夏にようやく実ったと思います。東先生には本当に感謝しかないですね」

 もし、3年前の自分が今の自分を見たら、どんな感想を漏らすだろうか。そう尋ねると、青木は「たぶん、すごくビックリすると思います」と笑った。

 東監督は青木について、こんな評価を口にした。

「新チームの最初は不器用なキャプテンだったんですけど、最後は実力で5番まで打順が上がってきて。チャンスで一本を出してくれる、期待の持てる選手になってくれましたね」

 それでも、海星の壁は高かった。海星は春2回、夏11回甲子園出場経験のある強豪で、身長2メートルの大型右腕・増地咲乃介が注目されている。昴学園戦では内野陣が好守備を連発し、昴学園の反撃の芽をことごとく摘んだ。

 こうした強豪を相手に、今後どうすれば対抗できるようになると思うか。そう尋ねると、東監督は気持ちの整理がまだついていなかったのだろう。「今後か......」とつぶやいてから、こう答えた。

「このチームは秋、春と県大会を経験させてもらってきましたけど、夏の舞台はまたちょっと違う雰囲気があります。そういうところで力を出せるチームにしないといけないし、あとは武器を持てるかどうか。ウチは打てないとシュンとしてしまいましたけど、海星さんはいつもより打てなくてもセカンドの子が最後にすばらしい守備をしてみせたり、引き出しを持っていました。そういうところやと思います」

 最後に青木に聞いてみた。これから後輩たちが「下剋上」するには、何が必要か。青木は少し考えてから、こう答えた。

「しんどいこと、苦しいことから逃げずに、乗り越えることだと思います。夏の大会は苦しい場面がたくさんあります。先生にやらされる野球ではなく、自分らで乗り越える野球ができるチームになってほしいです」

 新チームには2年生ながらエースを務めた河田虎優希(こうき)ら、4人の先発メンバーが残る。今夏の悔しい経験が、「下剋上球児・第2章」をさらに味わい深い物語へと昇華させるような気がしてならない。