◆パリ五輪 第3日 ▽フェンシング男子 決勝(28日、グラン・パレ) 個人戦が行われ、男子エペ決勝で、21年東京五輪団体金メダルの加納虹輝(JAL)が、日本フェンシング界初の個人金メダリストに輝いた。開催国フランスのヤニック・ボレルを15―…

◆パリ五輪 第3日 ▽フェンシング男子 決勝(28日、グラン・パレ)

 個人戦が行われ、男子エペ決勝で、21年東京五輪団体金メダルの加納虹輝(JAL)が、日本フェンシング界初の個人金メダリストに輝いた。開催国フランスのヤニック・ボレルを15―9で破り、フェンシングが国技のフランスで、加納が新たな歴史を刻んだ。

 決勝では日本人2人を倒してきた相手を完全アウェーの中で終始リードを奪った。「日本チーム2人負けて、3人目負けるわけに行かないと思った」。第1ピリオドを3ー2で先取すると、第2ピリオドでは点差を4に広げた。途中でボレルが剣を交換するほど神経質になっても攻撃の手を緩めず。第3ピリオドは積極的に打ち合い、終了を待たずに15点を先取して決着。両手を突き上げると観客からはスタンディングオベーションの祝福を受け、コーチと抱き合い渡された日の丸を大きく掲げた。

 加納が最初に始めたのは体操だった。体操女子でオリンピアンの寺本明日香さんと同じ強豪クラブに通い、五輪選手を目指した。線が美しく、小学校5年生の時に出場した西日本の大会では平行棒で3位に。だが、度重なるけがで競技から離れた。

 次に選んだスポーツがフェンシングだった。2008年北京五輪で太田雄貴氏を見たことがきっかけ。テレビで偶然観戦し、「あんなにカッコイイスポーツが、世の中にあったのか」。すぐにのめり込んだ。

 中学時代は無名も、高校から地元・愛知を離れて、山口の岩国工業高へ進学。周囲には映画館やボーリング場など娯楽がほとんどない環境でフェンシングに打ち込んだ。「技術面でもメンタル面でもかなり成長できた。その中でも特にメンタル面は本当に今までの僕のフェンシング人生の中でも一番大きく成長できた」。

 3歳の頃、将来の夢は「ウルトラマンになる」だった。そんな“ヒーロー”に憧れた少年は、173センチとフェンシング界では小柄な体で、新たな扉を鋭い一撃でこじあけた。「まだ実感湧いてない。フェンシングやっててグラン・パレできて楽しかった。いい経験にもなった」と夢見心地で快挙の余韻に浸った。

 フェンシング男子の日本勢は過去に太田雄貴が2008年北京五輪のフルーレ個人で日本勢初のメダルを獲得。エペ、サーブルの個人での表彰台はなかった。団体では2012年ロンドン五輪でフルーレが銀メダル。21年東京五輪ではエペが団体金メダルをつかんだ。

◆日本勢の五輪フェンシングのメダル 2008年北京五輪男子フルーレの太田雄貴の銀メダル、12年ロンドン五輪男子フルーレ団体銀メダル、21年東京五輪男子エペ団体金メダル。

◇エペ 試合では突きだけが有効で、足の裏を含む全身が有効面となる。

◆加納  虹輝(かのう・こうき)1997年12月19日、愛知県生まれ。26歳。高校時代に山口・岩国工へフェンシング留学。早大に進み20年4月にJALへ入社した。同期は陸上女子やり投げの北口榛花。7月の世界ランクは1位。173センチ、65キロ。主な成績は21年東京五輪団体優勝など