(25日、第106回全国高校野球選手権三重大会準々決勝 明野0―6鈴鹿) 「ありがとうございました」「こちらこそ」。ふだんはため口で話す仲なのに、試合後、明野の小山大和(やまと)投手(3年)と捕手の松田大聖(たいせい)主将(3年)の会話は、…

(25日、第106回全国高校野球選手権三重大会準々決勝 明野0―6鈴鹿)

 「ありがとうございました」「こちらこそ」。ふだんはため口で話す仲なのに、試合後、明野の小山大和(やまと)投手(3年)と捕手の松田大聖(たいせい)主将(3年)の会話は、妙にかしこまっていた。

 2人とも別の中学でそれぞれ野球を経験していたが、高校でも続けるかどうか迷っていた。だが、辻村健彦監督に誘われて入部、1年生の秋からバッテリーを組んだ。熱心に応援してくれる卒業生から「昔は強かった」と聞いて調べ、明野が甲子園には夏5回、春3回出場している名門校だと、2人とも初めて知った。

 昨夏の三重大会は2年生ながら先発バッテリーを任されたが、2回戦で敗退。その後、捕手出身の辻村監督の指導のもと力をつけ、今春の県大会では8強入り。今大会も25年ぶりの8強入りの原動力となった。

 小山投手はこれまでの3試合すべてに登板。この試合も24日の四回途中から登板したが、直後に走者1人をかえされた。しかし、試合が再開された25日は、六回に本塁打を打たれた以外は走者を許さず、打撃でも2打数2安打と気を吐いた。「昨日と比べ、球威が回復していた。気持ちの切り替えがうまくいったのだろう」と松田主将。

 明野が夏の甲子園に最後に出場したのは1987年。37年ぶりの夢は果たせなかったが、「松田が一緒にいたからこそ、想像すらできなかった甲子園に少し近づけた」と小山投手。松田主将は「これからは別の道に進むけど、互いに成長できた2年間を忘れない」とねぎらった。(本井宏人)