(25日、第106回全国高校野球選手権滋賀大会準決勝 綾羽9―2近江) コロナ禍で中止となった第102回大会を挟んで6連覇を狙った近江が、準決勝で甲子園初出場をめざす綾羽に敗れて姿を消した。左右の両エースが万全の状態でそろわぬまま迎えた夏…

 (25日、第106回全国高校野球選手権滋賀大会準決勝 綾羽9―2近江)

 コロナ禍で中止となった第102回大会を挟んで6連覇を狙った近江が、準決勝で甲子園初出場をめざす綾羽に敗れて姿を消した。左右の両エースが万全の状態でそろわぬまま迎えた夏だった。

 一昨年の秋からは、それまで大黒柱だった山田陽翔投手(現・西武)のようなスター選手はいなかった。それでも、堅守と手堅い攻撃の「近江野球」で、昨夏に滋賀大会を5連覇。今夏にバトンをつないだ。

 今年春以降のチームは投手力が高かった。その中心にいたのが、河越大輝投手(3年)と西山恒誠投手(同)。河越投手は安定感のある技巧派左腕、西山投手はキレのあるスライダーが武器の最速140キロ超の右腕だった。

 河越投手は中学時代、2学年上の山田投手と同じ硬式野球チームに所属。中学3年のときに山田投手から誘いを受け、近江に入った。山田投手が憧れの存在だった。

 河越投手について、「簡単にストライクを取れる投手だった」と多賀章仁監督は話す。1年の夏からベンチ入りし、昨春からは主力として活躍。昨夏の甲子園のマウンドにも立った。

 昨秋以降は西山投手が急成長した。秋の近畿大会初戦では興国(大阪)を76球で完封した。一方の河越投手は腰を故障し、リハビリや補強に取り組む日々が続いた。今春の選抜大会のマウンドに立ったのも西山投手で、河越投手に出番は回ってこなかった。

 選抜大会で初戦敗退したあと、河越投手は多賀監督に涙ながらに訴えた。「選抜に合わせて一生懸命やってきた。甲子園のマウンドに立ちたかった」。多賀監督は「河越、西山という左右の両輪で勝ち上がれる可能性があった。申し訳なかった」と振り返る。

 「最後の夏」を迎えるにあたり、各校はこの左右の2枚看板を警戒した。だが、西山投手が春にひじを故障。ぎりぎりまでベンチ入りが検討されたが、大会直前に入らないことが決まった。

 滋賀大会を6連覇し甲子園に出場すれば、西山投手が登板できるかもしれない――。河越投手は、春の悔しさや西山投手への思いを胸に「この夏は1人で投げきる気持ちでいく。甲子園まで何としてでもつなげる」。そんな強い気持ちで今大会に臨んだ。

 河越投手は、2回戦と準々決勝で登板した。だが、エースらしい投球ができず、いずれも継投。悔しい思いをした。投手陣に不安があるなか、チームは「全員野球」で勝ち上がってきた。

 この日は先発投手が立ち上がりを攻められて、初回途中で2失点。急きょ、河越投手が初回からマウンドに上がった。安打を許したが、1死満塁のピンチを併殺で切り抜けた。

 その後は、コースに投げ分ける丁寧な投球で二回から四回まで無失点で抑えた。声を上げながら気迫の投球をみせたが、五回に2失点し降板した。

 チームは七回に5失点し、まさかの七回コールド負け。河越投手は試合後、「西山のためにも甲子園につなげたかった。しっかりどんな場面でも守り切らないとダメなのに。悔しい」と言葉を詰まらせた。

 スタンドから見守った西山投手は「この大会では河越の調子は悪かったけど、きょうは声を出していいピッチングができていた」とねぎらった。2人とも大学でも野球を続けるという。(仲程雄平)

■多賀監督「コールド負けするようなチームではなく、私の責任」

 近江・多賀章仁監督 六回に投手を河越から北川に代えたのが一番の采配ミス。コールド負けするようなチームではなく、すべて私の責任。綾羽は選手たちがやれることを一生懸命、やっていた。ウチがやらなくてはならないことを完全にやられた。