こちらが名刺を差し出すと、中島悠貴は両手で受け取りながら「すみません、トヨペットの名刺は置いてきてしまったんです」と、おどけるように言った。その笑顔には、すっかりと染みついた「営業マン」のムードがあった。 中島は普段、茨城県水戸市の自動車…

 こちらが名刺を差し出すと、中島悠貴は両手で受け取りながら「すみません、トヨペットの名刺は置いてきてしまったんです」と、おどけるように言った。その笑顔には、すっかりと染みついた「営業マン」のムードがあった。

 中島は普段、茨城県水戸市の自動車販売店・茨城トヨペットで営業として勤務している。だが、現在は栃木県小山市・栃木市を本拠にする強豪企業チーム・エイジェックに補強選手として合流。7月18日に開幕した都市対抗野球大会の初戦に向けて、調整をしている。

 補強選手とは、都市対抗特有のルールである。本戦への出場権を獲得したチームが、予選で敗退したチームから3人まで選手をレンタルできる。補強選手で活躍した無名選手が脚光を浴び、ドラフト指名されるケースもあるのだ。中島は都市対抗予選で敗退したものの、エイジェックの補強選手に指名されている。


エイジェックの補強選手として都市対抗に出場する中島悠貴

 photo by Kikuchi Takahiro

【野球部の練習は週2回】

 中島は最速150キロの快速球とスライダー、スプリット、ツーシームなどの変化球を武器にする左投手。捕手のミットに向かってシュートしながら浮き上がって見えるストレートは、今秋のドラフト指名を十分に意識できる好球質だ。

 そんな中島も、日本大時代はリーグ戦登板わずか3試合と実績らしい実績を挙げられなかった。本人は「完全な実力不足」と振り返る。

「ストレートに力はあっても、コントロールが悪くて。首脳陣からすると使いづらいピッチャーだったと思います」

 大学卒業後は茨城トヨペットに入社し、野球部に入部した。企業チームとはいえ同社は「本業第一」の方針を打ち出しているため、野球部員もフルタイムで勤務する。野球部の練習は月曜と木曜の週2回に限られる。

「野球がしたくてもできない環境なので、週2回の練習にどれだけ向き合えるかが大事だと考えています」

 ただし、中島にはこの環境が合っていたようだ。入社後、中島は急成長を見せる。

「週2回の練習にマックスを持っていけるので、練習のしやすさはあります。あとは野球から離れる日があると気持ちを切り替えられたり、疲労がたまりにくかったりするメリットもあります」

 技術的には、グラブの型を変えたことが転機になった。体重移動時にグラブハンドの右手をグッとつかみやすくなり、「体が開かなくなった」という。それまでの中島は胸郭、肩甲骨周りが柔らかく、自分の意思で制御しきれなかった。その課題がグラブの型を変更したことにより、「自分の体のことを理解できるようになった」と、中島のコントロールはまとまっていった。

 入社2年目の今季、都市対抗二次予選では強豪企業チームを相手に牙をむいた。SUBARU戦では5回2/3を投げて9奪三振、無失点の好投。さらに日立製作所戦では9回を完投し、5安打1失点の快投で日立製作所を敗退へと追いやった。チームは二次予選で敗退したものの、中島は大きな手応えを得た。

「コントロールに自信がついてきて、マウンドで物怖じしなくなりました。『打てるものなら打ってみろ!』と堂々と投げられるようになった気がします」

 都市対抗を間近に控え、中島はエイジェックから補強選手に指名される。

 エイジェックは新興の企業チームながら、選手数は63人と社会人最大規模を誇る。投手陣だけで25人もいるため、中島は「最初は誰が先輩で誰が後輩なのか、年齢がわからなくて、基本的に敬語で入っていました」と苦笑する。

 それでも、同世代の若い選手が多いこともあり、打ち解けるのに時間はかからなかった。今やエイジェックのチームメートからは「ナカジ」の愛称で親しまれている。

「同期のピッチャーはしゃべりやすくて、みんな仲良くなりました。河北将太、鶴田克樹、谷内隆悟、清水敬太、あとはエビちゃん(蛯沢岳朗)。河北はプロからも注目されていてすごい実力なんですけど、自分とは持ち味が違うので、対抗心は持たないようにしています」

【エイジェックの施設に驚愕】

 野球に集中できる環境も新鮮だった。中島は目を輝かせて、こう語った。

「野球が大好きなので、毎日野球ができる喜び、幸せを感じています。エイジェックは練習施設もすばらしくて、好きなだけ練習できますから」

 エイジェックには7月に落成したエイジェックスポーツ科学総合センターという施設がある。中島は同施設を訪れ、衝撃を覚えたという。

「冷房の効いた室内で打ったり、投げたりの技術練習はできるし、トレーニング器具も充実しているし、治療院まで完備されている。できない練習はないというくらいの設備です。トヨペットでは練習日に雨が降ると投げられない時もあるので、ありがたいですね」

 チームには同じく補強選手であるベテラン内野手の野中祐也(日立製作所)と伸び盛りの強打者・樫村昌樹(日本製鉄鹿島)もいる。エイジェックを合わせて3チームについて知ることができるのだ。

「3チーム分のよさを知るチャンスだと感じています。エイジェックは選手数が多いですけど、いい形で競争につながっていると感じます。ただ投手陣から学ぶだけでなくて、野手の声がけとかチームとしてどうやって強くなっているのか、吸収していきたいです」

 もちろん、エイジェックのユニホームを着る以上は都市対抗本戦でチームのために力を尽くすつもりだ。

「流れを変えられるピッチングをしたいですね。今年はずっとそんな思いで投げてきましたから。相手に絶望感を与えるピッチャーになりたいです」

 大舞台での投球は自身の価値を、さらに高める可能性を秘めている。中島は「なんとかプロに行きたい」と語る。

「トヨペットの会長、社長も『行けるチャンスがあるなら行ってこい!』と応援してくれています。野球をやっている以上、目指していきたいです」

 エイジェックの都市対抗初戦は7月24日、日本製鉄瀬戸内(姫路市)戦である。稀代の左腕はベールを脱ぐのか、最後まで目が離せない。