(21日、第106回全国高校野球選手権茨城大会4回戦 岩瀬日大0―4水城) 岩瀬日大の一塁側応援スタンドに、遺影の傍らで声援を送る人の姿があった。 筑波貴弘さん(53)。「息子の背番号姿を、最後は一緒に見たいと思って」。遺影は妻の直美さんの…

(21日、第106回全国高校野球選手権茨城大会4回戦 岩瀬日大0―4水城)

 岩瀬日大の一塁側応援スタンドに、遺影の傍らで声援を送る人の姿があった。

 筑波貴弘さん(53)。「息子の背番号姿を、最後は一緒に見たいと思って」。遺影は妻の直美さんのもの。ふたりが見守ったのは、背番号6の筑波柚希(ゆうき)(3年)だ。

 2点を追う三回2死二塁で、2度目の柚希の打順が来る。フルカウントからファウルで粘る柚希に、貴弘さんがメガホンで声援を送った。「攻めの姿勢だぞ」。四球を選んで出塁すると、「最低限の貢献はできましたかね」と、ほおを緩めた。

 小学1年のとき、野球を始めた柚希。両親は練習や試合のたびに送迎や弁当を作って支えた。直美さんはベンチに入り、スコアもつけた。柚希がふがいないプレーをしてベンチに戻ると、「もっと頑張りなさい」としかることもあった。「明るくて、ときに厳しく一生懸命」な母が、柚希は好きだった。

 そんな直美さんに異変が起きたのは、高校1年の夏。公式戦の応援中に体調を崩し、入院。がんだった。

 「秋には柚希が背番号をつける姿を見られるかな」。病室でそう話す直美さんの言葉に、背番号を見せようといっそう熱心に練習したが、かなわなかった。倒れてから3カ月後、直美さんは亡くなった。50歳だった。

 柚希が初めて背番号を勝ち取ったのは翌春。直美さんの位牌(いはい)の前に、貴弘さんと並んで、柚希は手にした背番号を供えた。「遅くなってごめん」。うれしさと、悔しさが交ざった。以来、背番号を手にするたびに直美さんに報告した。

 最後の夏、チームは過去最高に並ぶ16強入り。この日は4度、得点圏に走者を送ったが、8強への壁は厚かった。試合後、球場の外で目を赤くする柚希。貴弘さんは、その様子を見守りながら言った。「『頑張ったね』って、直美も言ってくれると思います」。遺影のまなざしは、ほほえんでいた。(古庄暢)